不定期、沖縄の歴史3 察度王統

みなさんおはようございます。

今日は天気が良いです。昨日は天気予報では晴れで浄水確率10~20%だった割には土砂降りでした。今日はグスク回りも出来そうです。

さてさて、久々の沖縄の歴史に参りましょう。

英祖王統に変わって王位についた察度(さっと)王ですが、彼の半生はかなり伝説じみています。

まずは「羽衣伝説」ですね。これは全国的にあるものとそう変わりは無いと思います。本当は「まんがにっぽん昔話」風に説明しようかと思いましたが、疲れそうなので普通に行きます。

浦添間切謝名村の奥間大親(おくまうふや)という男が住んでいました。彼は貧乏なため嫁さんをもらえず独り者でした(年齢不詳)。そんな奥間が、ある日農作業を終えて森川(現森川公園)に寄りますと、なんと一人の美女が沐浴をしているではありませんか。

奥間が不思議に思って近づくと、木の枝に普通のものと思えない衣がかかっておりましたので、これを近くの草むらに隠し、何食わぬ顔でそのまま女性の前に姿を現します。驚いた女性が衣を着ようとしますが、奥間が隠しましたのであるはずありません。

女性はその場に泣き崩れ、奥間に尋ねられるまま、自分は天女であの飛衣(羽衣)が無ければ天に帰れない、と説明しました。それを聞いた奥間は、飛衣を探してあげるから、と恩着せがましく、かつ善意の人間を装って(ひどい言い草です)天女を自分のあばら家に案内しました。多分奥間は探す振りはしたのでしょう。

それから時は経ち、二人は夫婦となり一男一女を授かりました。そんなある日、妻の天女は女の子が弟をあやしている歌から、飛衣の場所を知り、それを着ると薄情にも子供を残して天に帰ってしまいます・・・まぁ、もともと奥間に騙されていたんですが・・・

その子供のうちの男の子が後の察度王といわれています。

成長した察度ですが、仕事はせず父親同様貧乏暮らしでした。そんなある日、勝連按司の娘の話を耳にします。その娘は、才色兼備の美女だそうですが。どんな婚姻話にも首を縦に振らないのだそうです。

それを聞いた察度は無謀にも勝連按司のもとを訪ね、娘を嫁に欲しいと申し入れます。これには按司や周りの臣、使用人にいたるまでまともに聞きませんでした。一方の娘は騒ぎを聞きつけると、彼の姿を見てみようと窓の隙間から様子を窺いますと、彼の頭上に天子(中国風の言い方)の蓋が見えましたので、父親の按司に彼のもとに嫁ぐと告げます。按司は当然反対しますが、娘の決意は固く、また占いによれば彼女は将来王妃になるとの事です。

そういった経緯で按司の娘は、察度の草庵に暮らしますが、ある日かまどの灰から金を見つけ、それが察度の畑から産出されるものだと知ります。・・・金ってそんな浅いところにあるんでしょうか・・・

二人は早速金を掘り出し、その地に黄金宮という楼閣を建築し、金を交易により鉄の農具へ代え、近隣の農民へ配り人心を得ます。

そのころ、浦添では英祖王統五代目の西威王・・・の母親が権力を握っていましたが、やがて西威王が亡くなると、群臣は西威王の息子でなく、すでに評判の高かった察度を王に推します。この中には「彼は天女の息子だから・・・」とか言った人もいたんでしょうか・・・だとすれば嫌でも時代を感じます。

とにかくそういった経緯で察度は王位につきます。時は1350年こうして英祖王統に代わり察度王統が開かれます。

彼は、交易で農具を得たように、それを国策の中心にします。伝説では畑に金が埋まっていましたが、実際には交易で金を得て、それをさらに農具などに変えていたという説もあるようで、この方が信憑性は高いです。ちなみにこのときは牧港を交易の場としていた模様です。その交易で得た経済力が政権交代に力を発揮したことでしょう。

察度は初めて中国との朝貢を始めた王としても知られています。1372年、明の求めに応じた察度は弟の泰期を使者として朝貢し、中山王として冊封されます。対外的に中山王として認められたのは察度が初めてなわけです。それより遅れて他国も明との朝貢を開始します。1380年山南王承察度(しょうさっと、またはうふさっと)1382年北山王怕尼芝(はにじ)といった具合です。さらに1392年には明の最高学府である国子監(こくしかん)に三名の留学生を送り込んでいます。国際的な国家を作ろうとしていたのでしょうか。

察度は1396年に亡くなり、その息子武寧へと引き継がれますが、1406年佐敷按司の巴志に滅ぼされてしまいます。記録によれば、武寧王は酒色に溺れ、人心を失ったとありますが、基本的に歴史は勝者によって作られますので、そのまま信用は出来ないでしょう。一応朝貢などは行っていましたが・・・

こうして察度王統は2代56年でその歴史を終えますが、沖縄の歴史全体で見れば、実に意義のある期間だったといえます。

さて、今後はいつになるかは分かりませんが、尚氏に行く前にグスク時代や三山の残り二つにも触れたいと思っています。北山、山南ともに複雑ですのでいつになるかは分かりません。

参考-沖縄のグスクめぐり(むぎ社) 琉球歴史の謎とロマン その二(亀島靖著 沖縄教販)

それにしても長くなりました・・・早く準備して外出しようと思います。

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コメント

  1. まぁきぃ より:

    羽衣伝説って、いろんな土地に残ってますよね。琉…
    でもこれはほんとに昔話ですねぇ。もちろん、交易や朝貢の話などは歴史にもとづくものですが、勝連按司の娘との婚姻の話はかなりファンタスティックじゃないですか^-^勝連按司の娘は王になる男性が来るのを分かって待ってたんでしょうか。
    でもこうやって簡単に歴史をおさらいするだけでも琉球(←その前は何て呼ばれてたんだろう?)は一つの立派な国家だったんですね。どこかで歴史が変わってたら今でも琉球王国だったかも・・・?!なぁんてフト思ってしまいました。

  2. T・ランタ より:

    >まぁきぃさん
    本当に羽衣伝説はあちこちにありますね。
    天女も少しは学習して欲しいです。
    ちなみに、国名としては最初から琉球を名乗っていたようです。琉球中山国王、といった具合でしょうか。
    他から呼ばれる地名はどうだったんでしょうか・・・
    あとは、仮に薩摩の侵攻を受けなかったとしても、独立を維持できたかどうか微妙ですね・・・何せ日本以外でも、沖縄を自国の領土と考えている国があるようですから。
    でも、自分も「もしかしたら」と考えたこともあったりしますので・・・

  3. 国子 より:

    国子

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