この日は昼過ぎに外出してJR内房線安房勝山駅から南東に1kmほどの場所にある八幡山へ。
ここは勝山城があった場所なのだそうです。
(左)八幡山の北、勝山港を挟んだ場所にある大黒山。天守のような構造物がありますが、勝山城とは関係無いのだそうです。
(右)勝山港から見た城域。
(左)城域である八幡山への登り口。
(中)登り道から勝山港を見下ろします。
(右)城域への進入口。
(左)城域に入ると切通道があります。道に沿ってやぐららしき穴が見受けられます。
(中)切通の先の登り道。道の先は開けているように見えます。
(右)登った場所にある石積み遺構らしき物。
(左)曲輪らしき開けた場所の切岸らしき斜面。
(中)奥の曲輪への登り道。
(右)確認した限りでは最も広いと思われる曲輪。多分主郭だろうと推測されます。
(左)港と大黒山を見下ろします。こうやって見ると大黒山に出城を置けば港を守るのに適しているように見えます。しかし大黒山には城郭遺構などは確認出来ていないようです。
(中)曲輪から先への登り道はどちらも鳥居が建っています。登り先はどちらも同じです。
(右)登った先には社殿があります。曲輪としてはかなり小規模で物見程度と思われます。
この城の築城時期ははっきりしていないようですが、当初は安西氏の支配下にあったとされているようです。
その後安西氏に替わり里見氏、正木氏の支配下になり水軍。
1577年に里見義弘が後北条氏と和睦した頃は内房正木氏の正木輝綱が城主であったようです。
その後1614年に里見氏が改易された後の1622年、内藤清政が3万石で安房勝山藩を立藩させますが、城の麓に陣屋を築き、城は廃城になっていた模様です。