15/1/31 初沢城

今日は昼過ぎに外出してJR高尾駅から南へ1.5kmほどにある初沢配水池付近へ。
この初沢貯水池の北は初沢城の城域だそうです。

今にして思えば城域の一部である高尾天神社への道付近も通っていましたのでそちらから行ったほうが良かったかも知れません。

山旅ロガーGOLDによる経路。
この城は以前も訪れようとした事がありますが、城域がハッキリ分かりませんでした。
再挑戦の今回は携帯ナビの誤導もありかなりグダグダで、結局googlemapを見ながら移動する事になりました。

(左)やすらぎ霊園外側を城域に向かって進む道。携帯ナビが霊園からこの道へ出られると誤って認識していた模様です。
(中)配水池へ入り口。
(右)配水池入り口付近から南西側を見下ろしたもの。

(左)初沢配水池
(右)城域より配水池を見下ろす

(左)本郭南側の曲輪。
(右)本郭。大した広さは無く見張り台程度です。

この城が誰によって築かれたかははっきりしていません。
平安時代から鎌倉時代にかけて八王子近辺を根拠としていた横山党の椚田氏や横山党が1213年の和田合戦で滅亡した後にこの地を与えられた大江(長井)氏が考えられているようです。
長井氏は片倉城を拠点にしていましたが、戦国時代には扇谷上杉氏の傘下にあったようですが、1504年に起こった扇谷上杉氏を中心とした軍勢と山内上杉氏を中心とした軍勢の間で勃発した立河原の戦いに際して長尾能景の攻撃を受けて落城し、城主長井広直らは戦死したのだそうです。
その後は後北条氏の支配下となり、八王子城の出城となりますが1590年の小田原の役で落城し廃城となったのだそうです。

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コメント

  1. […] 麓の境内から南の初沢城方面を見ます。 […]

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