この日は昼過ぎに外出しJR成東駅から南西1kmほどの場所にある成東城跡公園へ。
(中)北側から見た城域遠景。徒歩なら正面に見える階段を登りきれば程なく公園入口です。
(右)城域西側にある城跡公園入口。
(左)城域南側にある外郭跡から東側、九十九里方面を見ます。
(中)外郭南側の空堀跡。
(右)外郭跡。完全に公園化されており、テニスコートなどもあります。
(中)郭に進入すると、櫓台に推定二の郭の標柱があります。ちなみに手元に持っていた資料ではⅢ郭の表記でした。
(右)郭内の様子。
(左)郭側から櫓台を撮ったはずが、手前の蛇口に目が言っていた模様。この前夜が割と寒かったせいか、氷が散らばってました。
(中)推定二の郭内の土塁。
(右)現在は通路となっている、推定二の郭西側の空堀を主郭側から見たもの。
(中)分かりにくそうですが主郭空堀。標柱もあります。
(右)主郭西側の平場。持っていた資料ではⅡ郭とされている場所です。見通しは良く無く、土塁などは見受けられませんでした。
(中)主郭内は愛宕神社が建立されています。
(右)主郭土塁。
この城は室町時代の応永年間に千葉氏家臣の印東四郎と人物によって築かれたと言われています。この印東四郎と言う人物の詳細は不明です。
その後一時廃城となるものの、戦国時代の1530年頃に千葉勝胤によって整備され、勝胤の八男である定胤が成東八郎と名乗って居城とした様です。
しかし小田原の役で落城し、その後は徳川家家臣の石川康道が居城とした後は江戸崎藩主青山忠成の所領となります。そして青山氏が1620年に岩槻に転封されると城も廃城になったのだそうです。