それでは久々のグスク記事です。
今回紹介するのは豊見城市瀬長の「瀬長グスク」です。
この日は日曜日でしたのでグスクのある瀬長島は家族連れが多いです。
島について最初にある駐車場から丘に近づくとグスクの標柱があります。
その側に拝所らしきものが・・・とりあえずその脇にある斜面の道を登ります。
斜面を登ったところにある拝所。
その脇の道には「危険立ち入り禁止」と書かれていますので、そこを避けるために拝所のある斜面から岩を登って進みます。
岩を登ると丘の上に着いたようです。
拝所があり、そこから西へ進むとブロックで固められた拝所があります。
とりあえずグスクの中心だったといわれている西を目指して進みます。
雑草を踏み分けて進むのは思ったより疲れます。さらに左の写真の右側に写っているようなゴミに足を取られたり・・・
少し進むと岩が見えてきます。ついでに飛行機を撮ってみたりします。
岩までたどり着いたところで登ります。
北側をみると空港が遠くに見えます。
西側を見るとどの位進むのか見当つかないので撤収。結局全貌はつかめませんでした。
丘を下りた後島を徒歩で一周します。
島には拝所らしきものがいくつもあります。
拝所以外の風景。
左の写真が島の北側右の二枚は南側で撮ったもの。
中央の写真には道路が見えます。右の写真には島影が見えますが岡波岩でしょうか?
左の写真の拝所らしき写真を取っているとき、その後方の斜面を二頭の犬が駆け回っていました。
右の写真は橋からの遠景。
瀬長グスクは割と古いようで、伝承ではアマミキヨの子孫が小規模のグスクを築いたとされ、その後察度王が一子を派遣してグスクを増築させて防御・貿易のために利用したそうです。
さらに時代が進むと、南山王の王子が瀬長按司としてこのグスクを守ったそうです。
しかし北山を滅ぼした中山王尚巴志が派遣した船団に包囲されます。
包囲されて飲み水に困るようになったため、按司は敵からも良く見える高台の上で馬を白米で洗って敵を欺こうとしたそうです。
しかし結局水がなくなりあえなく落城したようです。
また沖縄戦での戦闘や戦後に米軍の弾薬庫が置かれたことでグスクはほとんど破壊されたようです。その際には拝所は島の外へ移されたということです。