26/6/24 平間城

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この日昼過ぎに外出して小田急小田原線伊勢原駅から南南東へ1.5kmほどの場所に向かいました。

概要

この周辺は平間城の跡と見られている様で、土塁状地形が見受けられます。

平間城散策

平間城歴史

当城の歴史については定かで無く、伝承も明確でありません。
「日本城郭全集」によれば隆安寺のある下平間地区の南方台地を城域と比定し、1562年に同寺を開基した桜井伯耆守蓮俊の館跡とも記載しています。
蓮俊については、『小田原衆所領役帳』に見える当地の地頭「深井」を「桜井」の誤記とみる説があり[1]、その場合は当地の地頭であった可能性が考えられますが、その動向については定かでありません。

感想など

一説では隆安寺周辺が城域とされ、実際に同寺北側一帯には城郭遺構を思わせる大規模な土塁状地形が見受けられます。
また寺南側の畑地は低地となっていて、その間が城域と比定されていると思われますが、土塁状地形の大きさに比べるとその平場は狭い様に感じられます。
また地勢から見て隆安寺北側墓地周辺にも土塁状地形の名残を思わせる地形が見られますが、遺構か造成地形かは判断できません。土塁状地形の範囲は明確で無く、隆安寺北東の稲荷神社は独立した土壇状地形に見え、仮に城に関連した地形であれば物見のような役割も想定できますが、これは推測に留まります。
ただ、ネット上で見られる同城に関する記述は、「日本城郭全集」の記述を基にしているものが多いように見えます。同書でも伝承ベースの比定に留まる一方、伊勢原市教育委員会刊行の「相模岡崎城跡総合調査報告書」では、同城の所在に関する伝承を上平間の稲荷神社周辺としています。
そのため、平間城は来歴・所在ともにいまだ明確ではありません。隆安寺周辺には大規模な土塁状地形が存在するものの、それが平間城と関係する遺構なのか、あるいは別の造成地形なのかは判断が難しく、資料上の比定地と現地で目立つ地形との対応関係が整理しにくい印象を受けます。

参考資料

  • 日本城郭全集 4
  • 相模岡崎城跡総合調査報告書
  • 中世伊勢原をめぐる武士たち
  • 伊勢原市史 資料編 近世 2
  • 伊勢原市史 通史編 先史・古代・中世
  • 新編相模風土記 巻39至78

脚注


  1. 伊勢原市史 通史編 先史・古代・中世↩︎

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