今回は山田グスクです。
グスク近辺は前回紹介したとおり、史跡は整備されていますが、グスクはどうでしょうか、周りの史跡と違って標識や案内の類が無いのが気になっていましたが。
グスクは石矼入り口から護佐丸父祖の墓へ向かう細道の左手側からさらに細い道へ入っていきます。左の写真はグスクへの道の近くにあった拝所です。
グスクへの道は雑草が生い茂っています。
道の突き当たりは段差になっています。その途中に一つ突き出た岩がありますので、これを足がかりにして登ります。
グスク内はロープが張られ、道は相変わらず雑草が茂っています。
僅かに石垣らしいものが残っていますが、雑草に覆われて分りにくいです。
雑草かき分けて進んでいきましたが、途中で道がふさがっていましたので断念しました。
このグスクは伊覇按司の弟、山田按司によって築かれたといわれています。護佐丸は山田按司の3代目か4代目にあたり、山田集落が当時「読谷山」と呼ばれていたことから護佐丸自身も読谷山按司と呼ばれていました。
尚巴志の北山討伐の際に功績を挙げた護佐丸は、座喜味グスクを築きます。その時にこのグスクの石を資材として用いたといわれ、護佐丸が座喜味グスクに移ると廃城になったのだそうです。
参考 沖縄のグスクめぐり(むぎ社)
コメント
山田グスク確認できたようですね。私は以前2回行…
山田グスク確認できたようですね。私は以前2回行きましたが、グスク本体は見つけられませんでした。日が傾くとすぐに薄暗くなるところで、不安になり引き返しました。いつか又、チャレンジしたいと思っています。
>野さん
グスクは何とか確認できました。
名前は割と知られているのでもっと楽に入れるものと思っていましたが・・・
道さえ分れば何とかなると思います。