24/8/17 戸張氏館、吉川氏館

この日は遅めに外出してJR武蔵野線吉川駅から北へ1.4kmの場所にある香取神社付近へ向かいました。

概要

この付近には戦国時代に戸張氏の居館があったとされていますが、遺構は残っていません。

戸張氏館

戸張氏館散策

北から見た吉川香取神社。
香取神社の南にある都婆岐大神の石碑。
この辺りに戸張氏の館が建っていたとされている様です。

戸張氏館歴史

この館は戦国時代に後北条方の関宿城主簗田氏に仕えた戸張氏によって築かれたとされています。
戸張氏は千葉氏一門相馬氏の流れを汲み、元々柏の戸張城主だった様です。相馬胤綱の子、戸張忠胤の胤房の頃北条氏政に仕える様になった模様です。
小田原の役後、胤房の子である胤久は関東入封した徳川家康に召し出されて旗本として仕えた様です。
この館がいつ頃まで用いられたのかは定かでありません。

参考

吉川 – 埼玉県webサイト(?)

埼玉叢書 第4 新訂増補

千葉氏の一族

吉川氏館

戸張氏館の後、南へ350mほどの場所にある延命寺を訪れました。
この場所は吉川三郎と呼ばれる人物の居館があったそうですが、遺構も残っておらず詳細不明です。

吉川氏館散策

城域とされる延命寺の山門。
整備された延命寺境内から館跡の雰囲気は感じられません。

吉川氏館歴史

吉川三郎は吾妻鏡に登場する人物との事で、鎌倉時代の人物と思われます。
居館の所在も確定はしていない様で、土地が高い場所ということで延命寺辺りと見られている様です。

参考

吉川の地名・町名のおこり – 吉川市webサイト

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