23/5/18 有木城

この日は昼頃に外出し、小湊鉄道海士有木駅から南東へ1km弱の場所にある八幡神社、有木公民館付近へ向かいました。

 

概要

この八幡神社や有木公民館を中心して、後北条氏によって築かれた有木城が築かれたとされています。

有木城散策

城域まで

海士有木駅駅舎。

上総村上駅と同様の説明板が設置されています。

城域

主郭東の虎口跡。

虎口跡奥側。

虎口跡から八幡神社を見ます。 

主郭を北側から見ます。
正面の道は公民館前を通っています。

主郭跡とされる場所は竹林となっています。
周辺が住宅ということもあり、探索などはしていません。

主郭の東側にある八幡神社。

八幡神社社殿。

八幡神社社殿裏手から虎口跡を見下ろします。
虎口跡から見たものの逆アングルと言えます。

有木城歴史

この城は1576年頃に後北条氏が上総に侵攻した際に築き、椎津氏を城主として置いたそうです。
ただその少し前の天文年間に二階堂実綱が築いたとも云われている様で、その後1575年に里見義弘が攻め落としたとも云われていますが、これに付いての信憑性は定かではありません。とはいえこの際に実綱は討ち死にした云われている様です。
しかしその一方で1577年里見義弘が上杉謙信に対してこの城が上総での抑えになっているため出陣を願う文書を送っています。ただ時期的に謙信が没する前後であったため出陣は叶わなかったと思われます。
城がいつまで用いられいていたか定かでありませんが、南に隣接した小野山城が1590年の小田原の役で落城したという伝承があることから、この城もその頃に廃城になったと思われます。

感想

この城は市原市埋蔵文化財センターの概念図によれば、小湊鉄道の線路よりさらに西にある国道297号(大多喜街道)沿いで主郭部から北西700mほどの龍興寺や北北西1kmほどの諏訪神社が西端部とされているなど広大な城域と見られています。
しかしその多くは宅地化している事もあり、今回は主郭部周辺しか見ていません。ただ駅からの移動中に郭跡らしき平場なども見受けられたのですが私有地に見えたため撮影などは行っていません。
また主郭部の北側に土塁が残るとされていますが、集落内の路地で周囲は車両や人の通行があったため確認するのが難しい状態でした。
さらに北西450mほどの場所に建ってる市指定文化財、石造十三重塔は実綱の墓標と云われている模様ですが、こちらも今回は見ていません。
この様に今回は主郭部周辺しか見ていない事から、いずれ再訪するかも知れません。

参考

日本城郭全集3

市原市史 中巻

蟻木城小考 – 市原歴史博物館

余湖くんのホームページ

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