この日は一泊したホテルの最寄り駅である新前橋駅での待ち時間が1時間半程度あった為、駅から北西へ1kmほどの場所にある總社神社へ向かいました。
概要
この總社神社周辺は総社長尾氏の居城であった蒼海城があったとされ、断片的ながら遺構も残っています。
蒼海城散策
蒼海城歴史
この城は室町時代、総社長尾氏が上野国府の周辺に築いたと云われています。
具体的な築城者についてははっきりしませんが、南北朝時代の人物で総社長尾氏の祖である景行、忠房親子によって築かれたと云われてる様です。
永享年間に上野国守護代長尾景行が築いたとも云われている様ですが、先の景行、忠房親子より後の人物である景行については判然とせず、総社長尾氏の系譜そのものも一定していない様です。
この城の戦国時代までについてはっきりしている事は総社長尾氏の居城であったという事と1566年に武田軍に攻められて落城、消失したという点という程度の様です。
ただそれ以前の1485年、忠房の子である憲景が厩橋城の前身である石倉城を築いて居を移したともされていますが、「忠房の子である憲景」が確認した限り系譜として明らかで無いと感じられました。
1590年、小田原の役後に徳川家康が関東移封されると92年に家康家臣である諏訪頼忠が総社に配され、1万石の総社藩が立藩されますが、蒼海城は用いられず新たに総社城が築かれた事により廃城となった様です。
感想
城域は宅地化されているものの、遺構は断片的に残っています。
ただ城域は結構広く、遺構が残るとされている御霊神社周辺まで移動するとなると、思いの外時間が掛かりました。
本丸跡付近の宮鍋神社は国府跡とされ、再現図らしき物も見られましたが、急ぎの為立ち止まる事も出来ませんでした。訪れた方は合わせて見るのが良いかも知れません。
参考
現地案内板
御霊神社と長尾氏由来
日本城郭全集 3
長尾氏 – wikipedia
総社長尾氏 – 武家家伝