この日は天候が良くなかった事もあり、少し遅めに外出して東武東上線柳瀬川駅から東へ800mほどの場所にある志木第三小学校付近へ向かいました。
概要
この辺りは柏の城があったとされ痕跡が残っています。
柏の城散策
(左)学校校門脇にある標柱と説明板。
(右)説明板によると学校の敷地が本曲輪、ニの曲輪にあたるようです。
学校の南側にある通用路にある大堀跡の説明板。
三の曲輪南側の堀だそうですので、三の曲輪は南北20m程度、東西90m程度と細長い造りだった模様です。
(左)説明板付近から東側を見ます。この東側に大堀跡遺構とされる部分がありますが、通用路のカギ状になった箇所の横棒部分も大堀の名残かも知れません。
(右)大堀跡の遺構。現在は痕跡程度です。
(左)学校の西側にある長勝院跡は西曲輪跡だそうです。もっともこちらも遺構は見受けられません。
(右)西曲輪説明板。
(左)学校前の道路(市道)はもともと北側の曲輪と三の曲輪を隔てる堀跡だったのかも知れません。
(右)西側から見た城域遠景。
柏の城歴史
この城は室町時代中頃に関東管領上杉氏に仕えていた大石顕重によって築かれたと云われているようです。
大石氏は当時高月城を本拠にしていたようで、その支城と思われます。
その後大石氏が後北条氏に服属するも大石氏が城主だったのか、天正期は顕重の玄孫である直久が1581年まで城主だったようです。
直久に代わる城主は不詳なようですが、1590年の小田原の役で落城しその後徳川家康が関東入封すると家臣の福山月斎なる人物が入城したようですが、その後の詳細は不明です。
参考
現地説明板