昨日は少し遅めに外出して、京成本線京成酒々井駅から南西に1kmほどの場所にある下宿麻賀多神社へ向かいました。
肥前屋敷
概要
この付近には本佐倉城主千葉氏に仕えた家臣の屋敷である肥前屋敷があったと云われていますが、遺構はほとんど残っていないそうです。
肥前屋敷散策
(左)下宿麻賀多神社鳥居。肥前屋敷の東に位置し、土塁らしき物があるという事です。
(中)下宿麻賀多神社境内の土塁らしき物。遺構かどうかは不明です。
(右)神社拝殿。
酒々井町の案内板によると台地縁部付近にあたる旧酒々井中学校の校庭跡が屋敷跡の模様です。
学校敷地だったため遺構は期待出来ないと考え、外側から見ただけです。
肥前屋敷歴史
肥前屋敷は上記の通り本佐倉城主千葉氏に仕えた家臣の館と云われれています。
館の主は不詳ですが、原肥前守とも青柳肥前守とも云われているようです。
右京屋敷
概要
右京屋敷は肥前屋敷の南に隣接して置かれていたようで、同じく千葉氏家臣の館と見られています。
こちらも遺構はほとんど残っていないようですが、土塁の痕跡や腰曲輪が残っていると思われます。
しかし台地縁部付近まで住宅が建っていて確認するのは困難です。
右京屋敷散策
右京屋敷の東に位置している東城寺跡の土塁らしき物。
写真左側の道は「酒の井の碑」がある円福院から西側に伸びる道で、この突き当り周辺が右京屋敷跡とされています。
前回探訪時は円福院の西にある墓地付近を少し見たのですが、暗かった事もあり何も確認出来ませんでした。
今回は突き当り付近まで行って見ましたが、住宅しか無い袋小路ということもあり詳しく確認していません。
右京屋敷歴史
右京屋敷は肥前屋敷と同じく千葉氏家臣の館と云われています。
館の主は堺右京と云われているようですが、詳細は分かっていないようです。
肥前坂
本佐倉城方面から肥前屋敷のある台地へ登る道は肥前坂と呼ばれているそうです。
(左)肥前屋敷方面から肥前坂を見下ろします。
(右)肥前坂から本佐倉城方面を見ます。
台地下から見た肥前坂。
肥前坂を降りると本佐倉城は目と鼻の先なので、ついでに本佐倉城を少し散策してきました。
本佐倉城散策
(左)本佐倉城入り口から肥前屋敷方面を見ます。
(右)同じく本佐倉城入り口から右京屋敷方面を見ます。
(左)本佐倉城本城域入り口。
(右)奥ノ山
(左)東山から北を見ます。
(右)東山から左手側、東光寺ビョウなどを見下ろします。
遅い時間からついでに散策しただけなのでかなりざっくりです。
説明板などが増えてきている印象です。