こんばんは。
最近更新する時間帯が遅くなってきています。明日は重大な用があって朝早いですから早めに寝ましょうか。
さて今回は長嶺グスクです。
名前は以前から知ってはいたのですが、道が分りにくいと言うことで今まで保留していました。
写真はグスク遠景、あの辺りにあるはずです。
それからグスク目指して進んだのですが、何度も同じところを回ったりしました。
左の写真がグスク入り口、グスクに向かってブロックが飛び石のように置かれています。標識はなぜか横倒しこれは割れているのでしょうか?
右の写真は入り口からの風景あの水タンクが目印です。
入り口から登ると広場になっています。いくつか拝所があります。
遺構の類はありませんが、歩きやすく散策しやすいです。それほど広くないのが残念ですが。石積みがないのは一説によれば真玉橋を作る際に使用されたとも言われているようです。
広場の奥には「長嶺按司の碑」と按司墓があります。この石碑によれば、長嶺按司は英祖王統の血を引いている、と言うことなんでしょうか?
ただ伝承では複数の長嶺按司が出てきますのでどの按司の事か分りません。
頂上へ向かう道、手すりのようなものがついています。
右は頂上からの景色、頂上は狭いです。物見台程度の場所だったのでしょうか。
入り口を登らずまっすぐ進んだ広場、多分グスクとは関係なく駐車スペースと思われます。
このグスクには落城に関する伝承があるようです。
ここから東側、南風原は津嘉山の仲間グスクに居していた仲間按司には美人と評判の姫がいたそうです。姫は婚約まで済ませ後は式を済ませて嫁ぐところで、長嶺按司が横取りを企み、姫を渡さなければ攻めると脅します。
仲間按司は武力では劣るものの、姫を渡したくないため戦の準備をします。そんな中仲間按司の元に長嶺按司が国場川で舟遊びをするという情報が入ってきます。
それを聞いた仲間按司は好機と見て、先手を打ち舟遊びに興じる長嶺按司を攻めます。さすがの長嶺按司も完全に不意をつかれ逃げ帰るのがやっとでしたが、城も陥落、長嶺按司は行方をくらませたそうです。
津嘉山集落の伝承では、長嶺按司はグスク内の井戸に馬を放り込んで入水したように見せかけて行方をくらませたとか・・・仲間按司は長嶺按司の霊を慰めるため豚を生贄にして祭りを催したそうで、それが「アミン御願」として今でも残っているのだそうです。
また、長嶺グスクの下には城下村として長嶺村があったそうですがいつのまにか廃村になり村人は周りの集落に散って行ったそうです。
参考資料-沖縄のグスクめぐり(むぎ社) 沖縄の拝所巡り300(那覇出版社)