山梨旅行最後の目的地、要害山城のある要害山麓に到着。
意外にも要害山登山口前には立派な案内板などもあります。
ここまで歩き詰めだったので、登山口前のベンチで一休みしてから登りはじめます。
最初は傾斜がきついですが、ある程度登ると緩やかになります。
20分ほど登り続けて石積み遺構や最初の門跡に到着です。
どうにか城の入り口です。
その後は遺構を求めてひたすら登ります。
岩殿城の時はハイキング客と遭遇しましたが、ここではそういった事はありませんでした。
途中の郭(不動曲輪)には江戸時代に建てられたという武田不動尊があったりしますが・・・
城の入り口から主郭まで約15分。登山口からだと約40分で到着という事になります。
暑くなって上着を脱いだので虫に付きまとわれたり、熊が出るのではないかと常に緊張していたので正直疲れてしまいました。
・・・なので主郭で少し休憩し、遺構を眺めて下山開始。
主郭の後方に堀切とかあるのですが・・・
この城は武田信虎が躑躅ヶ崎館と同時期に築いたもので
居館の北を守ると同時に、いざと言うときに避難するための城だったようです。
1521年、今川氏配下で高天神城主の福島正成が甲斐に侵攻します。
信虎の正室、大井の方はこの城に逃れて晴信、後の信玄を生んだと言われています。
1576年、武田勝頼の命で改修が行われますが、武田氏滅亡後1600年に破却そうです。
それにしても今度から旅に出るときは登山の事も考えないといけませんね。
(左)要害山登山口。
(中)登りはじめた辺りにある案内板。
(右)城跡へ向かう山道。
(左)登りはじめて13、4分ほどで辿り着いた城域入り口。
(中)少し登ったところにある遺構、竪堀とやたら大きい土塁。
(右)山道。所々石段になっています。
(左)山道。時折石積みが見られます。
(中)城門。この城にはこのような門跡がいくつもあります。
(右)不動曲輪へ向かう道。この辺りは小さな曲輪が連続して置かれているようです。
(左)不動曲輪。江戸時代に作られた武田不動尊から名付けられたようです。元は何と読んでいたのでしょうか。
(中)不動曲輪の武田不動尊。
(右)不動曲輪前から少し進んだところにある門跡は石積みが残っています。現地説明ではもっとも堅固な門、との事です。
(左)石積みの門跡内側の曲輪。ここからは大き目の曲輪が続きます。
(中)道を登り、次の曲輪入り口。
(右)曲輪入り口。規模は大きめですが、道は一直線。後で調べたところ、入り口が改変されているようです。
(左)門跡。内側は枡形だそうで、道は折れ曲がっています。
(中)内側の曲輪。曲輪そのものは小さめです。
(右)主郭へ向かう道。山道は鋭い角度で曲がっています。
(左)主郭の虎口。
(中)主郭。長方形になっています。
(右)主郭にある「武田信玄公生誕の地」の碑。麓の積翠寺で生まれたとも言われています。
(左)主郭にある要害山の標柱。
(中)主郭北側。
(右)主郭北側虎口。奥にはさらに遺構があるようですが、今回はかなり疲労したので進みませんでした。
(左)主郭の土塁。主郭を囲っていていますが、それほど高くはありません。地形そのものが堅固ではありますが。
(右)主郭付近からの眺め。