25/7/19 福田陣屋

この日は少し遅めに外出して、JR埼京線西大宮駅から北西へ800m弱の位置に建っている福田稲荷神社へ向かいました。

概要

この辺りは江戸時代初頭に福田惟康が築いた陣屋の跡とされていますが、遺構は残っていないとされています。

福田陣屋散策

福田陣屋歴史

この陣屋は江戸時代初頭に福田惟康によって築かれたと云われています。
伝承ではこの陣屋は江戸時代初頭に福田惟康によって築かれたと云われている様です。
惟康は豊臣氏の家臣だったそうですが秀吉没後、主家と意見が合わなくなり出奔して関東に下って陣屋を構え居を構えた様です。
1623年、山内一豊の甥である一唯が3000石を与えられて中釘陣屋に居を置くと、惟康は一唯に召し出され家老として仕えたそうです。
惟康は高村権之丞と共に堤を築いて新田開発などを行ったとされているそうです。
以上は「日本城郭全集」に記載されている内容で「埼玉の館城跡」でも築城者は惟康としていますが、「大宮市史」では福田家家譜からの引用として、惟康自身は平安時代後期に京で上皇の警護などを行っていた北面の武士で、上記の事績は惟康の18代孫である長之の物としています。
いずれにせよ福田家の人物によって築かれたとして云い伝えられている模様です。
福田家はこの後帰農したと思われ、北野貝戸村の名主になったそうです。

感想

現在福田稲荷神社とふるさとの森となっていますが、原則的には現在でも福田家の所有地だそうです。遺構は残っていないそうですが、何となく名残っぽい地形が見えたり、城館跡らしい雰囲気は感じられます。

参考

埼玉の館城跡

日本城郭全集 4

大宮市史 第3巻 上 (近世編)

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