この日は遅めに外出して、JR久留里線上総清川駅から北東へ600m弱の場所へ向かいました。
概要
この場所は平安時代末期から鎌倉時代初頭の人物である平景清の館跡が移されています。
遺構などはありません。
景清陣屋散策




実際の陣屋跡はこの方面はあったと思われます。
景清の井戸
有吉城へ向かう途中、景清の井戸へ立ち寄りました。陣屋跡との距離は1.5km弱です。


井戸付近は水が流れているのと下草で足を踏み入れ難い雰囲気です。


小さい鳥居があり、奥に井戸があるものと思われますが、先を急ぐためこれ以上は踏み入りませんでした。
景清陣屋歴史
この陣屋は平安時代末期のいわゆる源平合戦で平家方として戦った平景清の居館であったと云われている様です。
景清は「平景清」と呼ばれる事も多いですが、実際には藤原忠清の子で忠清が伊藤(伊勢藤原)氏であることから藤原景清、伊藤景清と呼ぶ方が正しい様です。
1179年、景清の父忠清は上総介に任官された事から景清の父に従ったとして景清に関する伝説も存在している様です。
その後景清は平家の侍大将となった父忠清と共に平家方として戦い、その後については定かでありません。
かつて小櫃川は少し北を流れていて、明治期の迅速地図によれば対岸の大寺浄水場辺りを突出部として急角度で湾曲していた様です。その流路はやがて改修されますが、その際に現在の位置に移されているという事からかつては川が流れている場所か浄水場の辺りにあったという事なのでしょう。
感想
元々古い時代の伝承地の上に、現在の位置に移されたという流れから遺構などは存在しません。
しかし説明板は建っていますし、関連して「景清の井戸」もあります。ただ井戸は直線距離で1.5km弱離れているため、合わせて訪れるのは検討を要するでしょう。
参考
現地説明板
木更津市史
姓氏家系大辞典 1