この日は昼過ぎに外出して、JR外房線大網駅から北東へ1.7kmほどの場所にある八幡神社へ向かいました。
概要
この神社が建っている丘陵の麓は板倉氏が館を置いたとされていますが、遺構などは残っていない様です。








板倉長門守屋敷歴史
この館の来歴については定かでありません。
名前になっている板倉長門守とは大網白里町史によれば大網城最後の城主と云われている板倉治長と思われますが、同書では「近世になってその子孫が代々居住したにすぎ」ないと記載しています。
ただ大網城が廃城になった後、城主かその子孫が居住したのは間違いなさそうなので、いつ頃居を置いたのかがはっきりしないのでは無いかと思われます。
感想
東側以外を尾根に囲まれた場所が城域だったとされていますが、現在は集落があり遺構は残っていないと思われます。
城域を囲む尾根も特に遺構が無いとされていますが、城域西側の丘陵最高所付近には八幡神社が建っている様です。ただ道を見つけられず到達出来ませんでした。
また城域南西には切通が通っていますが、屋敷と直接の関係は無いものと思われます。
参考
大網白里町史 – ADEAC