この日は遅めに外出して、京王線仙川駅から北西に1.8kmほどの場所に向かいました。新川・島屋敷団地通り団地管理事務所脇の公園に当たります。
概要
現在新川・島屋敷団地通り団地が建っている場所は島屋敷と呼ばれる館が築かれていたそうですが、団地が建っている事もあって遺構は残っていません。
島屋敷散策


左手側が屋敷跡の縁部と思われます。

右側に説明板が見えます。

柴田家墓所
島屋敷の南500mほどの場所に建っている春清寺は柴田勝重以降数代の墓所が建っています。




島屋敷歴史
島屋敷は時期は定かでありませんが、武蔵七党村山党の裔である金子時光によって築かれたと云われています。時光の孫、金子弾正は天正期の人物と云われている様ですので、時光は室町時代の人物と思われます。
その後金子氏は後北条氏と共に没落したのか、1614年に柴田勝家の孫(養子勝政の子)勝重が館を置いたと云われています。勝重は1599年に徳川家康に仕官して旗本として取り立てられ、関ヶ原の戦いや大阪の陣で戦功を挙げて2520石を与えられていたと云います。
その後1698年に三河国に移封されるまで柴田氏が居を置いていたとされています。
感想
先述の通り、団地化によって面影も残っていません。
そこで明治期の地図や終戦直後の航空写真を見ると、名前の通り島状の地形をした場所に築かれていた事が伺えます。
また元々土塁は残っていなかった様で、地勢を頼りとした簡素な造りだったものと思われます。
参考
現地説明板
中世城郭の研究 : 関東地方に於ける築城遺構の実測とその諸問題