この日は昼過ぎに外出して。JR高崎線深谷駅から北へ2kmほどの場所に向かいました。
概要
この場所にある集落は皿沼城と呼ばれる城郭があったとされていますが、明確な遺構は見受けられません。
皿沼城散策



落ち込んでいるのは堀の名残りなのかとも思えますが、実際は不明です。

落ち込んでいる場所や水路などが堀の名残りに見えます。


皿沼城歴史
この城は室町時代の1491年、深谷上杉氏家臣の岡谷香丹が深谷城の北を守る目的で築いたと云われています。
後に香丹は子の清英に城主の座を譲って近隣の曲田城に隠居したとされています。清英は主君に当たる上杉憲盛の重臣として支えるも主家深谷上杉氏は後北条氏に下ることになります。
深谷上杉氏が後北条氏の服属した後も城は用いられた様です。
しかし1590年、小田原の役で深谷城が開城した後、城は廃城になったとされています。
また城主岡谷氏は後北条氏に敗れた後帰農したとも云われている様です。
感想
上敷免地区の皿沼集落が城跡とされています。
現在明確な遺構は見受けられませんが、集落を囲む低地が堀跡に見えます。
特に集落南側の田畑は堀跡といった雰囲気が感じられます。
またかつて明治初期の迅速地図などによれば集落内を縦断する道路は鉤状になっていた様で、これは曲輪間を仕切る堀の名残りだった様に見えます。ただこちらは道路の北側が現在民家敷地となってしまっています。
参考
現地説明板
埼玉の城