24/2/11 小谷(こや)城

この日は昼頃に外出し、JR宇都宮線野木駅から北西へ3kmほどの場所にある神明宮付近へ向かいました。

概要

この周辺は小山氏が用いた小谷城があったそうですが、現在遺構は見受けられません。

小谷城散策

城域まで

城域の南方を流れる思川。
かつては城域に隣接して流れていたそうです。
そして城域の南には旧思川の沼地が横たわっています。
旧思川を渡る橋から城域を見ます。

城域

県道に面して神明宮や城跡碑などが建っています。
説明板は表面が至る所経年劣化で剥がれ落ちて読み取りにくくなっています。
城域南の養豚場らしき建物の裏手に見える畑地。
何となく堀跡っぽく見えたのですが、そうでは無いようです。
城域東の神明神社から城域を見ます。
段差などが見受けられますが、遺構などとは関係なさそうです。

小谷城歴史

この城は平安時代末期に小谷俊景によって築かれたと云われている様です。
その後小山政光によって用いられる様になったとされ、伝承によれば政光が居を置いたとも云われている模様です。
南北朝には網戸城の網戸村重が城主となり、引き続き小山氏の拠点として用いられたとされてます。
しかし村重は1440年の結城合戦で敗れて奥州へ逃れたと云われてます。
小山氏は結城合戦において幕府方として同族である結城氏と戦ったのですが、重村の網戸氏は結城氏の庶流であった事から結城方に与したのかも知れません。
戦国時代には小山秀綱が大橋左京亮を城代としたと云われている様です。
1575年、小山氏の居城である祇園城が後北条氏に落とされた事で廃城になった様です。

感想

小山市史(1980年)には城域外側には遺構が残っていると記載されていたので訪れてみましたが、その後に均されたのか、耕作地になっていて遺構らしきものは見受けられませんでした。
過去の地図では城域東の神明神社に隣接して微高地のようなものが確認出来ますが、航空地図などを見ると1980年代には隠滅した様に見えます。
城域内には神明宮やその後方などの段差がありますが、均された際の残片と思われます。
また神明神社を訪れた際、地元の方が行事の準備だか片付けをしていて慌ただしい雰囲気だったため通りすがりに挨拶して参拝する程度に留めました。

参考

現地説明板

小山市史

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