この日は遅めの時間に外出し、JR内房線蘇我駅から東へ2.2kmほどの場所にある子安社へ向かいました。
概要
この裏手には梶原景時と館跡が建っていたという伝承があるようですが、現在明確な遺構は見受けられません。
梶原館散策
梶原館歴史
この城館の来歴について定かでありません。
伝承では梶原景時の館と云われている様ですが、梶原氏の発祥は鎌倉とされていて、景時自身は相模国高座郡に居館を置いていたとされています。
そのため当地はこの時代千葉氏の勢力圏だったと思われる事もあり、景時とは縁もゆかりも無いと思われるため、景時との関連は伝承の域を出ないものと思われます。
感想など
この日は朝から昼過ぎまで酷い頭痛に苦しまされ、予定していた外出したのは遅い時間となりました。
そして城域ですが、「千葉市史 史料編 1」には「子安神社北50m」と記載されているため、子安社裏手の雑木林を探索しましたが、程なく日没してしまったため見通しが悪くなってしまったため周辺を含めた探索は困難といった状態でした。
神社裏手は谷状地形となっていますが先述した通り暗くなっていたため、周辺を含めて探索することが出来ませんでした。
そういった理由もあってそれほど探索が十分でなかった事もありますが、明確な遺構は見受けられないという印象でした。
参考
千葉市史 史料編 1
姓氏家系大辞典 1