24/10/13(3) 柿木氏館

八條八幡神社を後にして、八條殿社古墳から北へ1.4km弱の場所を訪れました。

概要

この付近には柿木氏館と呼ばれる城館があったと見られていますが、現在は明確な遺構は見受けられません。

柿木氏館散策

東から城域方面を見たもの。
城域の南東に建っている十王堂を南東から見たもの。建物の向こう側が城域と思われます。
十王堂説明板。1575年に結城市の豊田城から豊田氏の夫人と遺児が落ち延びてきたという伝承がある様です。
十王堂を南側の正面から見たもの。
城域の東側。
城域北東を縦断している溝状地形。堀跡の名残かと思われます。

柿木氏館歴史

この館の来歴については定かでありません。
名称についている柿木氏について調べてみましたが、詳細について確たる事は分かりませんでした。
ただ伝承では1521年、八条氏館主と思われる八条惟茂が向畑城を高賢上人に奪還された為再奪取する際の先鋒として柿木小膳が青柳外記左衛門、小作田隼人とともに850人ほどを率いて出陣したとあります。
しかしこの戦で八条方は敗れ、小膳は青柳らとともに討たれた様です。

感想

八條八幡神社から帰路のため北上していた際、googlemapを見て気付いたため訪れました。
もっとも館跡されている場所は民家らしいと事前に判明したため、周囲を見て回るに留めました。
来歴などは全く不詳で明確な遺構も残っていない上に周囲を見ただけの館跡ですが、この日訪れた中ではもっとも散策した感がありました。

参考

六ヶ村栄広山由緒著聞書 – 越谷市データアーカイブ(ADEAC)

googlemap

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