この日は午後に外出し、ニューシャトル羽貫駅から南西へ1.2kmほどの場所にある北中地公民館付近へ向かいました。
概要
この周辺は菅谷北城の跡とされ、断片的に遺構らしきものが見受けられます。
菅谷北城散策
南東から城域遠景。
城域南側を横断する埼玉県道87号線(紅花通り)、
城域中央部を縦断する道。
城域中央部にある北中地公民館。
北中地公民館の向かいにある土塁状地形。
概念図に記載された土塁跡の位置と合致する様に見えますが、遺構かどうかハッキリしません。
北中地公民館前の十字路から土塁状地形を見たもの。
北中地公民館から北へ170mほどの城域北端部から城域縁部を見ます。
縁部の茂み内には土塁の痕跡らしきものが見受けられます。
菅谷北城歴史
この城は鳩谷修理なる人物の居館であったと見られています。
しかし鎌倉時代末期から南北朝時代の人物である春日行元の居館であったと見られている様です。
この城がいつ頃まで用いられていたか定かでありませんが、春日氏は居館や主君を代えて幕末には旗本に至るまで家名は存続し、春日顕道が彰義隊として戊辰戦争を戦った模様です。
感想
現在北中地公民館がある辺りを中心に方形の居館内を土塁で仕切った様な構造になっていたと見られています。
概念図などが記載された資料は存在しますが、その後も宅地化が進み現在は遺構はほぼ湮滅した模様です。
そのため公民館付近に見受けられる土塁状地形は「埼玉の城」に記載された概念図での土塁遺構と位置や配置が合致する様に見受けられるものの、遺構かどうか判断しかねるという印象です。
また残っている遺構と思われるものは北端部付近縁部の土塁では無いかと思われます。
参考
埼玉の城
埼玉の館城跡
伊奈町の歴史 – 伊奈町webサイト
春日左衛門 – wikipedia