この日は午前に外出してJR外房線上総一ノ宮駅から南西に3.6kmほどの場所に向かいました。
概要
この場所は上総広常の居城だったと云い伝えられている高藤山城の跡となっています。
高藤山城散策
城域東側の登城口。
登城口からは結構な傾斜を登っていきます。
道を登っていくと主郭部に到達します。
主郭部にある説明板。
主郭北東側の郭へ向かいましたが、やや藪になっています。
北東側郭先端付近。
主郭部から南側の郭を見ます。
主郭部を隔てる空堀。
主郭部南側の郭には幕末の一宮藩主加納久徴によって建立された「高藤山古蹟碑」が建っています。
主郭部東側の様子。
古蹟碑裏手の土塁。
主郭部の西側の郭は笹薮となっています。
笹薮を越えた先にある郭の南側は空堀状地形があります。
空堀状地形にある謎の穴。
空堀状地形の向かいは笹薮が生い茂った斜面となっていて、断念せざるを得ませんでした。
戻りながら主郭北側の堀切を撮ったもの。
高藤山歴史
この城の詳細な歴史は分かっていませんが、平安時代末期から鎌倉時代初頭に上総国で勢力を誇った上総広常の居館と比定されている場所の一つです。
ただ現在残っている遺構は戦国時代の物と見られています。
その為戦国時代にこの城を勢力下に置いた勢力として、広常の弟である金田頼次の末裔で北西の勝見城に拠っていたとされる上総金田氏やその勝見城を勢力下に置いていたともされている長南武田氏などが考えられる様です。
感想
鎌倉時代初頭の人物として知られる上総広常の居館跡とも云われている城です。
しかし現在残っている遺構は後世の物と見られている模様です。
主郭部は比較的簡素な造りで居館跡と言われても納得出来ますが、鎌倉時代の居館として見ると位置が高過ぎるのでは無いかと思われます。
また主郭部以外は笹薮などが激しく、想定していたより範囲より探索出来なかったのが残念ではあります。
参考
現地説明板