この日は昼頃に外出して、わたらせ渓谷鐵道大間々駅から北東へ600mほどの場所にある要害神社へ向かいました。
概要
この要害神社周辺は平安時代に築かれた高津戸城の跡とされ、現在も山城の遺構が残っています。
高津戸城散策
城域まで
城域内
高津戸城歴史
この城は平安時代の寛治年間に山田吉之によって築かれたと云われています。
この山田氏についての詳細は定かでは無く、土豪では無かったかと思われます。
1351年、10代目城主山田則之の頃、桐生氏家臣である谷直綱によって攻め落とされ、山田氏は滅亡した様です。
変わって桐生氏より新たな城主として里見義連の三男である氏連が仁田山などを与えられ、仁田山氏と改姓して入城します。仁田山は山田氏の旧城があった場所でもある事から仁田山氏には山田氏の旧領から多くを与えられたと思われます。
1574年、仁田山氏5代目と思われる宗連の頃、上杉謙信の軍に攻められて宗連は自刃し落城した様です。
その後の出来事として、仁田山氏の同族である安房里見氏の里見勝広とその子である勝政、勝安兄弟に関する伝承がある様ですが、存在が裏付けられておらず後世の創作と見られているようです。
参考
現地説明板
高津戸城 – wikipedia
日本城郭全集3