大貫陣屋の後、下総神崎駅から南へ300mほどの場所にあるおかべ観音堂へ向かいました。
GPSログはおかべ観音堂からの帰路となっています。
概要
おかべ観音堂の北、円光寺の西に当たる場所にはかつて肥前鍋島氏の陣屋である郡陣屋があったそうですが、現在遺構などは残っていません。
郡陣屋散策
郡陣屋歴史
1600年、肥前国佐賀城主鍋島直茂の次男で、江戸に人質として送られていた忠茂は徳川秀忠より下総国矢作に5000石を与えられ、陣屋を構えたと思われます。
1608年、忠茂は中風を患ったため肥前への帰国を許されます。
1609年、忠茂は佐賀藩から2万石を分知され、2.5万石で肥前国常広城を居城として肥前鹿島藩を立藩します。
1614年、大坂冬の陣が起こると、忠茂は病を押して出陣したため1624年に没するため矢作で療養していたと言い、実際に陣屋を構えたのは1616年とも云われている様です。
1636年、忠茂の子である正茂は本家佐賀藩主である勝茂から9男直朝を養子とする様に迫られます。正茂は嗣子が生まれなかれば弟に跡を継がせようと考えていたため拒絶しますが、勝茂は様々な手段を用いて圧力を強めていった様です。
1642年、正茂は藩主の地位と鹿島領を放棄して、矢作領5000石の旗本となったため陣屋に居を置いたと見られます。
1698年、5代目城主である長行の頃遠江国岩井へ移され、陣屋は廃止されたそうです。
感想
陣屋跡とされる場所は下総神崎駅からほど近くの宅地となっています。
資料には一部水濠が遺存すると記載されていますが、外縁部を歩いた限りではそれらしきものは見受けられませんでした。
参考
千葉県文化財センター研究紀要28
日本城郭全集 3
鹿島藩 – wikipedia