2021/10/2 人見城

この日は昼頃に外出し、JR上越線磯部駅から西に2kmほどの場所にある大宮神社付近へ向かいました。

概要

この大宮神社付近は人見城の跡で、現在も遺構が残っています。

人見城散策

ほたる池~城域

北東側から城域付近を見たもの。
北東側、ほたる池付近にある案内板。
ほたる池側から城域へ向かう道。
ほたる池。

城域

主郭東の竪堀。
堀切がそのまま竪堀になっている様です。
竪堀を登って搦手から横堀に入り主郭へ向かいます。
主郭北側の横堀。
主郭内。
主郭内の標柱。
主郭西側の郭を見ます。
主郭西側の堀切。
こちらも竪堀に続いています。
堀切の南側である斜面上を見ます。
主郭南側の郭へ繋がっています。
城域西側の堀切。
この辺りが城域西端と思われます。
主郭東側の横堀を進んでいきます。
主郭南側の郭を東側から見ます。
しかし草が生い茂って進入は難しい状態でした。
城域東側にある馬出し。

城域~大宮神社周辺

馬出付近から東の大宮神社方面へ向かう道。
うぐいす井戸と万葉歌碑。
城域南東にある大宮神社。
大宮神社から城域へ差し掛かるうぐいす井戸付近は堀切状になっています。
大宮神社境内にある城域への案内。
城域南東、大宮神社の北にある駐車場から見た城域遠景。

人見城歴史

この城は鎌倉時代末期の人物である人見光行が築いた館を後世に増築、拡張した物とされています。
人見氏は武蔵七党の一つである猪俣党の流れを汲み、平安時代末期に川勾政経が武蔵国人見郷に居館(人見館)を築いたのが始まりとされています。代々鎌倉幕府の御家人として仕えており、光行も鎌倉幕府滅亡に至った元弘の乱では幕府軍に従軍したとされ、1333年に赤坂城の戦いにて討たれたとされています。
ただ城は規模や馬出しなどといった施設から、光行が活動していた鎌倉末期から南北朝に掛けての時代では無く、後世の戦国時代などに手が加えられたと見られている模様です。
しかしどういった勢力による物かは不明な様です。

感想

人見光行の館として築かれたとされている当城は現在の主郭跡を堀切で区画した程度の規模だったのかも知れません。
しかし後世の増築、改修で予想以上の規模と感じました。また案内の看板が所々に置かれるなど程よく手入れされていて、大手の登城口跡と思われる大宮神社方面からだと分かりやすく楽しめるのでは無いかという印象を受けました。

参考

現地説明板

余湖くんのホームページ

風神ネットワーク

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