17/11/25 藤心陣屋

昨日は遅めに外出して、東武野田線逆井駅から東へ1.3kmほどの場所へ向かいました。

概要

この辺りは藤心陣屋があったと言われていますが、遺構などは残っていません。

藤心陣屋散策


(左)南西から見た陣屋遠景。
(右)南から陣屋へ向かう道には案内が出ています。

(左)説明板と城跡碑。
(右)説明板。

(左)陣屋跡は主に畑地になっています。
(右)陣屋跡と南から見たもの。

藤心陣屋歴史

舟戸藩成立と二度の廃藩

この陣屋は1616年、舟戸藩主本多正重によって築かれたのだそうです。
正重は徳川氏譜代の家臣で幕府で権勢を振るっていた正信の弟に当たりますが、大阪の陣で徳川秀忠に従いその功で舟戸1万石を与えられ舟戸藩が成立。正重自身は船戸に陣屋を構えていましたが、代官所として藤心にも陣屋を置いたことから別名藤心藩とも呼ばれているようです。
正重は実子正氏が豊臣秀次に仕え、秀次事件に際して殉死していた為外孫(娘の子)である正貫を養子としています。
立藩翌年の17年、正重は没しますがその際に8000石に減封となり舟戸藩は1年で廃藩となります。
この減封は正重の遺言とも言われているようですが、その間も船戸、藤心などは本多氏の所領でした。
1688年、正貫の孫にあたる正永は7000石で所領を継承していましたが、1万石に加増され舟戸藩を復活させます。
1696年には幕府重臣である若年寄に就任し5000石を加増されています。
1703年、正永は真田氏が改易された後の上野国沼田へ2万石で転封となり舟戸藩は再度廃藩となりますが、旧舟戸藩の所領は飛び地として本多氏の支配が続いたようです。
これは1730年に正永の甥で養子である正矩が駿河国田中藩へ転封しても変わらなかったようです。

田中転封から陣屋廃止まで

船戸、藤心の両陣屋は飛び地の代官所として幕末まで用いられていたようですが、1868年に徳川家達による静岡藩立藩に伴い田中藩主正訥は安房国長尾に4万石で転封となり、その際に舟戸領は政府へ返上となり陣屋も廃止された模様です。

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コメント

  1. […] この場所は船戸陣屋があったそうですが、遺構は残っていません。 (左)東から見た陣屋跡遠景。 (右)陣屋跡である三峯神社の鳥居。 (左)鳥居の脇にある不動堂。 (右)不動堂前の説明板。 (左)三峯神社境内。 (右)神社の社脇にある石碑。 (左)神社の南にある善哉庵は代官の墓所だそうです。 (右)南、善哉庵付近から見た陣屋跡遠景。 この陣屋は1616年に成立した舟戸藩の代官所として置かれたそうです。 舟戸藩については藤心陣屋の記事で述べていますので省きますが、藩主である本多氏が転封しても飛び地であつ舟戸領統治の為に用いられたと見られています。 1868年に舟戸領は明治政府に返上され陣屋もその際に廃止されたと思われます。 しかし町村制施行の1889年、旧舟戸領はかつての領主が130年間封地としていた駿河国田中の地名を冠し田中村を成立させます。 田中村は昭和の大合併で東葛市(現在の柏市)に併合されますが、現在は駅名で残されています。 […]

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