この日は昼過ぎから外出。
東武野田線高柳駅から東へ3kmほど歩いたところにある香取神社近辺に藤ヶ谷城があったのだそうです。
(左)城域を西側から見た遠景。
(中)城域の西側を通り抜ける道。
(右)城域を通り抜ける国道16号の歩道橋から見下ろします。城域北西から南東側を見る形です。写真中央左側に香取神社があります。
(左)香取神社。標柱には藤ヶ谷城についても記されています。
(中)香取神社前から見た藤ヶ谷交差点。神社から南側にある主郭方面と見る形です。なお主郭は写真右側奥にあったと見られています。また交差点右手側看板付近の盛土は遺構と見られています。
(右)交差点北側を見ると緩やかながらも傾斜があるのが分かります。
(左)資料で大手とされている辺りから交差点方向を見ます。
(右)南から見た城域遠景。
鎌倉時代から室町時代にかけて、藤ヶ谷は相馬氏の所領であったとされその館が置かれたと考えられます。
その後戦国時代には高城氏の支配下にあり、高城氏家臣である藤ヶ谷修理が城主であったと見られています。
また城もこの頃に規模を拡張、整備されたものと思われます。
藤ヶ谷中上城
藤ヶ谷中上城は藤ヶ谷城の南600mほどの場所にあります。
藤ヶ谷城の支城として機能したと見られていますが、現在は城跡があった台地が削られて消滅したのだそうです。
写真は南から見た遠景。