この日は昼過ぎから京王線で聖蹟桜ヶ丘へ。
駅から南へ歩き大栗川を渡り、いろは坂を上ると金毘羅宮があり、その辺りが関戸城跡と言われています。
現在は遺構は見当たりませんが、鎌倉時代から物見台の役割を持った城塞があったと見られているようです。
1333年、新田義貞は関戸合戦で鎌倉幕府、北条泰家の軍を破った後、ここに陣を構えたといわれています。
その後、1494年の戦いでの記録に出てくることから、室町時代末期まで使用されたようです。
ちなみに「天守台」と言われるようになったのは江戸時代からだと言われているようです。
しかし城の詳細や城主などは分かっていないようです。
(左)大栗川を渡る霞ヶ関橋付近から城跡方面を見ます。
(中)大栗川、東方向を見ます。
(右)いろは坂付近から城跡へ向かう道。
(左)金毘羅宮。丘の北縁にあり、この辺りから城跡のようです。
(中)金毘羅宮から少し南に歩くと説明板を兼ねた標柱があります。
(右)城跡最高所。櫓台などの可能性もありますが詳細は不詳。とりあえず藪が酷くて入るのは厳しそうです。