この日は昼過ぎに外出して東武東上線森林公園駅から北へ約1.5kmの場所へ向かいました。
概要
この場所は羽尾城の跡とされています。
羽尾城散策
(左)城域の南を流れる市野川。
(右)城域西にある案内板。
(左)西側から城域へ向かいます。
(右)右手側に城域西側土塁があったのですが、後で調べ直して気付きました。
(左)城域北西にある標柱。
(右)城域北側を横断する道の南側には土塁が並行し、堀跡と見られている様です。
(左)道路から内側の堀跡。二重堀だったと見られている様です。
(右)土塁の切れ目や土橋状になっている場所がありますが、遺構か不明です。郭内は凄まじい薮で新入は困難です。
(左)標柱から南側に向かって溝があります。恐らく遺構では無く、探索範囲を見誤る事になりました。
(右)西側土塁の内側から、東側を見たもの。
感想
この城は北側の堀跡周辺の遺構を除くと、分かり難くなっている印象を受けました。
本来は市野川に面した辺りまでが城域の様ですが、南側は宅地化し、西側の遺構も分かり難くなっています。
羽尾城歴史
この城は1572年に武蔵松山城の出城として築かれたと云われているようですので、後北条氏方によって築かれた城と言えます。
近隣の山崎城主である山崎若狭守が普請を行い、山田宗道が城主になったと云われているようです。
1575年、山田宗道が没し山崎若狭守が城主になったと云われています。
1590年、小田原の役にて前田軍に包囲されたとされ、「前田利家の軍に包囲され激戦数十日、戦闘熾烈の攻防を繰り返したが四月上旬散る桜と共に陥落した」と『滑川村誌』に記されているようですが、脚色されていて城の規模からしてほぼ抵抗出来ず開城したと見られている様で、そのまま廃城になったと思われます。
参考
余湖くんのホームページ
日本城郭全集4