この日は昼過ぎに外出して、京成本線八千代台駅から北へ2kmほどの場所にある高津ゴルフ練習場へ向かいました。
概要
この辺りは高津館があったとされていて、現在も遺構が僅かに残っています。
高津館散策
残存遺構周辺
(左)南から見た城域遠景。ゴルフ練習場を挟んで北にあるアンテナ付近に遺構が残っています。
(右)東側からアンテナ付近に進入すると、社のようなものが祀られていて、その裏に遺構が残っています。
(左)土塁。
(右)土塁を登りながら撮ったもの。
(左)空堀跡。
(右)空堀跡と土塁。
城域周辺
(左)ゴルフ練習場南側の道路は西側に向かって緩やかに登る坂道になっています。遺構から見て西側に城域の中心があったと見られます。
(右)遺構の北西100mほどの場所にあるカーブした道路。下調べした所、左に向かって曲がる道筋は明治の頃から変わっていないようです。かつての堀跡では無いかと想像してしまいます。
(左)付近にある大門バス停。
(右)遺構から北西200mほどの場所にある妙見社。妙見社は千葉氏が鬼門除けで造営していました。この妙見社も鬼門除け目的のものであれば、方角が合いませんので、遷宮されたものと思われます。
またこの妙見社の西にある民家敷地内には意味ありげな盛り土がありました。個人的には土塁の残片にも見えましたが・・・
高津館の歴史や感想など
この館の歴史などについて詳細は分かっていません。菅原道真を大宰府に左遷した平安初期の公家、藤原時平の息女と云われる高津姫に関する伝承があるようです。
しかし残っている遺構は明らかに後の時代のもので、妙見社が付近にあることから、千葉一族の手によるものと思われます。
この館跡は一応部分的に遺構は残っています。
しかしあまりにも断片的かつ、周辺が面影を留めていないため、城域の詳しい規模や範囲などを調べるのは難しそうです。