昨日は遅めの時間に外出して、小田急小田原線愛甲石田駅から北西へ1.4kmほどの場所にある神明神社へ向かいました。
概要
この神明神社周辺は愛甲城があった場所だそうで、遺構は僅かに残っています。
愛甲城散策
(左)城域にある神明神社。
(中)神明神社脇にある甲稲荷と「愛甲三郎館跡」の標柱(石碑)。
(右)標柱側面には説明が記載されています。
(左)神明神社東側にある城域南側空堀跡。これは東側から見たものです。
(中)城域東側の空堀跡は近年の道路工事により湮滅した模様です。
(右)城域北側空堀跡。
城域は三方向を囲む空堀跡が残っていたそうですが、その内東側の堀跡が湮滅しています。
北東から見た城域遠景。
愛甲城歴史
この城は平安後期から鎌倉時代に掛けて武蔵国内に勢力を持った武蔵七党の一つ、横山党の流れを組む愛甲氏の居館と言い伝えられているようですが、築城年代などは不詳です。
鎌倉時代初期に城主だったと言い伝えられている幕府の御家人である愛甲季隆ですが、1205年に畠山重忠の乱にて幕府軍に加わり重忠を弓矢で討ち取った事で知られています。
しかし1213年の和田合戦に際しては和田方として幕府軍と戦い戦死し、愛甲氏は没落したと言われています。
参考
現地説明板
神奈川中世城郭図鑑