16/4/9 小見川城

昨日は昼頃に外出しました。

概要

そしてJR成田線小見川駅から北西1.5kmほどにある城山公園を訪れました。
ここは小見川城の跡ですが、遺構はそれほど残っていません。

小見川城散策

(左)南西から見た城域遠景。
(中)城山公園入口。この公園は桜の名所でもあり、桜まつりが行われてました。
(右)説明板。

(左)公園入口付近の切通らしき道。城の遺構を利用した物かも知れません。
(中)城域南側の高台を登る道。この辺りも城の一部だったのかも知れませんが、どのような形だったのか分かり難い気がします。
(右)城域南側にある天満宮。

(左)城域北側、ニの郭虎口。
(中)虎口の左手脇にある土塁の残片らしき物。
(右)虎口側から見たニの郭内。花見客が結構いました。

(左)ニの郭西側。虎口付近の土塁。
(中)ニの郭東側の城塁。
(右)ニの郭から南側を見たもの。自分も一通り散策を終えた後、屋台で食べ物買って花見をしました。

(左)主郭虎口と土橋。
(中)右手側の空堀跡。
(右)主郭西側の土塁。主郭は浄水場建設のために削り取られ、残っている部分は僅かです。

印象としては浄水場や公園化による改変で遺構はそれほど残っている訳では無いようです。

小見川城歴史

この城は1199年に千葉一族の粟飯原氏三代目朝秀によって築かれたと云われているようです。
伝承の通りだとすれば鎌倉時代の築城と言うことになりますので、改修されながら用いられたと言うことになります。
この城は戦国時代に里見氏や正木氏の侵攻を受けている模様です。
そして1590年、小田原の役に際し最後の当主俊胤は小田原城に入り、戦後城は開城します。
その後1594年、徳川氏家臣の松平家忠が1万石で封じられ忍藩から移って来ました。
当初は上代城に居たそうですが、程なくこの城に移ってきたようです。
1601年、家忠の子である忠利が三河国深溝に移されます。
1602年、土井利勝が1万石を与えられて入城します。
1610年、利勝が佐倉へ移されます。
1612年、安藤重信が1.6万石を与えられて入城します。
1619年、重信が高崎へ移封され城はこの時廃城になったようです。
1724年、小見川藩主となった内田正親はかつて正木氏が小見川城を攻撃するために築いた城の跡に陣屋を置き幕末まで小見川藩の政庁となりました。

参考

余湖くんのお城のページ
小見川藩 – wikipedia

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