大晦日の昨日は今年最後の散策に出ようと昼過ぎに外出したものの、乗り継ぎを間違えたりなどで遅くなりそうだったので予定を変更しました。
概要
そしてJR横須賀線逗子駅から南西に2km弱の場所にある旗立山へ向かいました。
ここは鐙摺城の跡とされています。
途中に通りかかった逗子海岸での日没。
日没を見るために人が集まっていました。
日没時点で目的地まで残り1km程度だったので到着までには薄暗くなっているだろうと思われました。
鐙摺城散策
(左)東側から見た城域遠景。小さな丘をそのまま城に用いた形です。
(中)城域入り口にある手書きの説明板。
(右)登城口に設置された階段。
(左)途中から石段に変わります。古い物に見えますが遺構かどうかはっきりしません。
(中)頂上の曲輪。この城は山上に曲輪が一つあるだけの小規模な物です。
(右)曲輪東側の土塁。
北側、逗子海岸の対岸方向を見ます。
鐙摺城歴史
この城は平安末期に三浦半島を治めていた三浦氏によって築かれたと見られています。
1180年、伊豆に流配されていた源頼朝は挙兵して石橋山の合戦が起こります。
その際に三浦氏はこの辺りから頼朝への援軍を送ったと言われています。
しかし三浦氏の援軍は大雨による川の増水で合流出来ず、頼朝は敗れ三浦氏の軍も引き返しますが、その途中で平家方の畠山重忠の軍勢と遭遇し戦となります。(小坪合戦)
その際に、この城に旗が掲げられた(旗立山の由来)とかここに三浦氏の本陣が置かれたと言った言い伝えがあるようです。
両軍は一旦本拠地に引き上げますが、重忠は同族の河越氏、江戸氏の加勢を受け三浦半島に攻め寄せて本拠の衣笠城まで攻め落とし、三浦氏当主義明が戦死しました。(衣笠城合戦)
その際に城は廃城になったと見られますが、戦国時代に当時の三浦氏当主義同によって用いられ、後北条氏によって落とされたと言う伝承があるようです。
参考
現地説明板
神奈川中世城郭