この日は昼過ぎに外出して、総武本線横芝駅から西へ1kmほどの場所にある坂田城跡へ行って来ました。
城跡は坂田池公園の北に位置しています。
(中)城域東側から進入出来る切通。多分車を通すために造ったものでしょう。
(右)城域の半分以上を占める広大な四の郭内、北から主郭方面を見たもの。見ての通り畑地となっていますが、周囲の遺構は残っています。
(左)四郭北側にある虎口。この辺りは資料と違っており、道を直線に改変されているようです。
(中)虎口付近の空堀跡。
(右)四郭東側の土塁上から見た帯郭。
(中)三郭空堀。
(右)三郭(字登城)内。ここも現在は畑地となっています。
(中)三郭にある説明板。説明板はここの他に四郭などにもあります。
(右)三郭南側の空堀。向かい側は主郭です。
(中)三郭とニ郭間の空堀はかなり浅くなっています。
(右)ニ郭(字見台)内。この郭はもっとも手付かずな印象で、見通しは良くありません。
(中)主郭空堀。
(右)手前から奥に伸びる主郭空堀が、奥の三郭内空堀に接続されています。
(中)主郭土塁。三郭やニ郭の物と比べて規模は大きめな印象です。
(右)主郭南側から城外へ出て、城域を見たもの。この進入路は整備された時に作られたものでしょう。
この城は14世紀中頃に千葉氏によって築かれたと云われているようです。
戦国時代では当初この周辺を支配していた三谷氏の居城だったそうですが、弘治年間に一族間の内訌があり、北西の大台城を居城としていた井田友胤が介入してきて三谷胤興を滅ぼして居城としたのだそうです。
井田氏は千葉氏に仕え、後北条氏の影響力が強くなるとその被官となり、関東各地に出兵する事になります。
そして1590年の小田原の役で友胤の子胤徳は小田原城守備の為出兵しますが、留守の坂田城は落城し廃城となったのだそうです。