訪れたのは我孫子市中峠の中峠(芝原)城跡。
JR成田線我孫子支線で湖北駅下車。
しかし我孫子支線が一時間二本とは思いませんでした・・・
とりあえず駅から北へ2、30分ほど歩けば城跡付近へ到着です。
城跡の南側は現在宅地化が進んで、二の郭、三の郭は南半分が消滅しています。
残った部分も「古利根自然観察の森」と藪が激しい部分を除いては所々住宅が建っています。また城域を東西に横断している道があるのでざっと歩くのは楽ではありますが・・・
北は古利根沼(かつての利根川)に面した城跡は三つの郭があり、予想以上に大規模な城跡でしたが、確認できる遺構は僅かです。
しかし到着に時間が掛かったため、主郭付近に到着した辺りで日没時間(16:31頃)。
その後は駆け足で散策しましたが、写真のブレが大きくなるのは避けられませんでした・・・
最終的に帰途に着いたのは16:50頃・・・当然周囲は暗くなっていましたが。
(左)城跡の東にある「追分道標」。
(中)「追分道標」の脇から見た城跡遠景。この道は城跡を横断しています。
(右)城跡三の郭跡。半分宅地化しています。右手側の森は保護されているようです。
(左)三の郭内にある「中峠城跡庚申塔」。
(中)二の郭より三の郭を見ます。写真中央は説明板。説明板はかつての空堀跡に隣接していますが、「言われてみれば何か窪んでいるかも」と言う程度に埋まっています。
(右)三の郭内にある城塁。高さはありますが、思ったほど周囲の木で思ったほど見渡せません。
(左)城跡内(多分二の郭)から見た古利根沼。
(中)かつての主郭虎口。写真中央部に土塁と空堀があります。空堀はこの城跡で唯一残っていますが、藪がかなり酷いです。
(右)主郭にある櫓台と思われる巨大な盛り土。現在は社があります。
この城の詳細ですが、築城時期は不明ですが、戦国時代には古河公方足利氏家臣の河村氏が城主だったようです。河村氏は後に後北条氏に属し、小田原の役の際には浅野長政の軍勢に対して明け渡されそのまま廃城になったそうです。
城跡散策後、日没時間は過ぎたものの城跡北の古利根沼に行ってみることにしました。
(左)古利根沼湖畔より見た中峠城跡遠景。
(中)古利根沼南岸より。
(右)写真を撮っている足元付近にいつの間にか接近していた猫。
徒歩5分かの道のりですが、所々で立ち止まったので到着した頃には既に暗くなっていました。
古利根沼はかつて利根川の本流でしたが、治水のために明治から大正に掛けて改修されて三日月形に残ったのが古利根沼です。