この日は昼過ぎに外出し、西武狭山線下山口駅から西へ600mほどの場所にあるスーパーへ向かいました。
ここには山口城があったとされ、城跡碑や若干の遺構があります。特にスーパーの敷地になっている場所は郭跡で断片的に土塁が見られます。
(左)城域を東から見たもの。城域は県道が通り抜けています。
(中)城跡碑前の交差点には山口城跡の表記があります。
(右)城跡碑と説明板。
(左)郭北西側にある土塁の残片。
(中)郭跡西側を北から見たもの。南側に土塁が見られますが、かつては周囲を取り巻いていたのでしょう。
(右)郭跡南側の土塁。この城ではもっとも良く残っている遺構で、30mほど続いています。ちなみに手前側はスーパーの駐車場、向こう側は狭山線の線路となっています。
(左)土塁の一角に社のような物が僅かに見えましたが、線路沿いでフェンスを隔てていたためはっきりと確認していません。
(中)社が見えた場所の西側には灯篭が立っていて参道を思わせます。 またこの場所は土塁に沿っているので空堀跡だった可能性が高そうですが、現状でははっきりしません。
(右)郭の西側から北を見たもの。正面に見えるのは山口城跡交差点です。江戸時代には開拓されていたとされる城域はすっかり開発され、コンビニ、マックにファミレス完備と言った様相です。
この城は平安末期に山口家継によって築かれたのが始まりとされています。そして山口氏代々の居城でしたが、室町時代には鎌倉公方と敵対したことから落城、炎上などがありその都度当主が自害している模様です。
戦国時代には居城としての機能を根小屋城に移し、その後山口氏は後北条氏に従います。そして小田原の役の際に城は廃城となったようです。