この日は遅めの時間から外出しました。
そして京成線勝田台駅から北に3kmほどの場所にある米本城へ。
(左)北東から見た城域入り口。
(中)説明板。かなり古びて文字がかすれています。
(右)城域内の道。一応郭があるはずですが、土塁などは見受けられません。
(中)土橋脇にある土塁の残片らしき遺構に祠が置かれています。
(右)本来は二の郭虎口だったはずですが、土塁の向こう側は削られて消滅しています。
写真は二の郭の土塁。昭和42年頃の土取りによって曲輪が消滅したため、堀と挟まれて細尾根のように残っています。
実際進んでみましたが、暗くなっていたこともあり危険と考え引き返しました。
この城は戦国時代に千葉氏家臣の村上国綱、綱清によって築かれたとされています。
臼井城の拠点としての役割を持っていたようですが、臼井城が攻められた際に落城、村上親子は自決したと言われています。
臼井城は何度も攻撃を受けており落城の時期ははっきりしていませんが、太田道灌に攻められた文明年間が有力です。