この日は昼過ぎに外出し、JR内房線から南東へ1.5km強の場所にある長妙寺付近へ向かいました。
概要
この長妙寺の南東には平安時代末期に築かれた館が築かれたそうですが、現在では明確な遺構は残っていません。別名として高島陣屋などとも呼ばれている様です。
城域の北西側に建っている長妙寺。
城域の南側を流れている村田川。
以前はもっと屈曲していた様です。
城域とされている辺りを南側から見たもの。
城域北側の城塁を見られている地形を見ます。
城域北側から南の村田川方面を見ます。
城域東端と思われる辺りを見ます。
城域の西にある天神社。
天神社の説明板では館跡についても触れています。
菊間館歴史
この館は平安時代末期に千葉氏家臣の高島恒重によって築かれたと言われています。
高島氏は千葉氏一門とされている様ですが、館がどの程度の期間用いられたかについてなども含めて詳細は不明となっています。
恒重は治承年間(治承二年 – 1178年)ともに館の西に天満宮を勧請したと伝わっている様です。
感想
前述しましたが、城塁状の地形を除くと明確な遺構は残っていません。
これは築かれたのが平安末期という古い時代だったということも、元々簡素な造りだったのかも知れません。
また現在見られる城域は館跡としても小規模に見えますが、城域の南を流れる村田川はかつて長妙寺と天神社の間で南へ歪曲していた様で、村田川に張り出した地形上に館の中心が置かれたものと思われます。これは館から見た天神社の方角が戊戌(西北西)と言われている事からやや南よりだったという事も根拠として挙げられるかも知れません。
参考
現地説明板(高嶋天神天満宮)
上総国町村誌 上巻
千葉県中近世遺跡調査目録
姓氏家系大辞典 2