幡谷城
途中には久住村役場跡があります。
久住村は昭和29年に成田町を中心に1町6村が合併し成田市が誕生した際に消滅したようです。
(左)城域南にある標柱。標柱裏側の道を進むと城域に入ります。
(中)標柱の裏側の道を進むと一直線の道になります。
(右)土塁跡の遺構に見えます。
(左)主郭を見ます。入り口には遺構の痕跡が見えるような気もします。
(中)主郭内。現在は畑地となっています。土塁などの遺構は見受けられませんでした。
(右)主郭下を見ると腰郭らしきものが見受けられます。
幡谷城は大須賀氏の一族である田部多胤秀の子、幡谷胤盛が居していたと言われています。胤盛は千葉宗家に仕えたのだそうです。
荒海城(失敗)
一応城下まで到着しましたが、進入路を見つけられず断念しました。
写真は南東、荒海川を渡る地蔵橋からの遠景。