こんばんは、今回はいつもより(?)ローカルな話題を・・・ついでに創造力に優れた方は食事中に読まないほうが良いかもしれません。
ちかくでこのようなことが行われたため、せっかくですから記事にしてみます。
龕(がん)というのは霊柩車のようなもので、遺体をこれに入れて亀甲墓まで運んでいたそうです。ちなみに当時はまだ火葬では無かったとのことです。
ついでに言えばその火葬でなかった当時のことについて。亀甲墓は門中で使用しているのですが、門中で無くなった方がいれば、前に亡くなった方の遺体を清めてから、次の遺体を墓に入れたそうです。間隔がある程度あれば遺体は白骨化しているでしょうが、そうでなかった場合は大変だったそうです。それはそうでしょう・・・
この事は 祖母→親→自分、と又聞きで伝わったものですからどの程度のものかは分かりませんが・・・聞くだけで充分です。
そのようなことが県内全域で行われていたかどうかもわかりませんね・・・少なくとも自分の親の実家のある地域ではそうだったようです。
ちなみに、先日自分が駆り出された清掃作業もこの行事の準備だったようです。自分は行事に参加していませんが・・・
コメント
よく話題になりますが沖縄の墓って大きいですよね…
納骨の時、義父が墓の中に入って行ったのには驚きました(゜д゜∥)!
その時「先に(墓に)入ってる方に寄っていただくんだよ」と聞いてさらに驚いたのを覚えています^^;
今は火葬だから中にあるのは骨壷に入ったお骨でしょうが火葬でなかった頃は中はどんなんだったんでしょう・・。
>まぁきぃさん
亀甲墓の中は広いですよね、沖縄戦のときは壕の代わりに使われたこともあったくらいですから。
でも当時は火葬でなかったはずですから、臭いがすごい場合もあったでしょう。
多分棺桶か何かに入れてそのまま突っ込んだのでしょう。時間が経ったときの様子はあまり考えたくありませんが・・・