こんばんは。今日は昨日と比べて暑かったように思います。多分風が弱まったせいでしょうが、それならまた明後日辺りからは涼しくなる、ということでしょうか。
さて、今回は昨日の続きです。大城グスクから大里グスク目指していったわけですが、道に迷ってしまいました。最終的には佐敷町から入ることに・・・明らかな遠回りですが仕方ありません。その上、城址公園として整備しているはずが、近くに案内の標識が無いというのはどうなんでしょうか・・・
色々あって何とかたどり着きました。案内板が二つあり、一つはグスクでもう一つはグスクに隣接して作られたという井戸、「チチンガー」のものです、とりあえずそのカーから先に見てみることにします。
なかなか立派な石積みに囲まれています。
それだけ大事なものだったのでしょうか。
石段もあります、ここからカーまで降りて水を汲んでいたのでしょう。
とりあえず覗き込んでみますと・・・井戸ですね。以上です。
さて、グスクですが、チチンガーの傍の敷地になっているはずですので、足を踏み入れてみます。
・・・原っぱです、なんだか大城グスクを思い出しましたが、公園とかそんなものではなく、原っぱですね、それ以上でもそれ以下でもありません。しかもなぜか僅かに堆肥臭が・・・牛糞のようなにおいです。まさかここで牛の放牧とかしていたりするんでしょうか・・・しかも「城」と書かれた謎の構造物もあります。
とりあえず原っぱの向こう側に石段が見えましたのでそちらを目指して進みます。
石積みなどはそれなりにあります。草が伸び放題、遊歩道なども草で見えなかったりします。いかにも荒城といった趣ですが、公園としてこれでいいのかは不明です。整備した人たちはこんなイメージでやっていたんでしょうか。
なんだか歩く、というよりは探索している気分です。
一応拝所や展望台などもあります。とりあえず展望台も登ってみます。
展望台は公園整備のときに作られたようです、例によって草に囲まれ、「真壁グスク」を思い出させます。
見晴らしは良いですが、単なる景観だったら大城グスクが上でしょうか。
築城年代は不明ですが、十四世紀ごろは南山の一角を支配する島添大里按司の本拠地だったといわれています。この按司は一説によればかつての八重瀬按司だったとも言われているようですが、詳細は不明です
島添大里按司は本島南部の東側(大里、玉城、佐敷、知念・・・なんか、来年年明けに一つになるところですね)を支配下におさめ、山南王に匹敵する力を持ったといわれていますが、十五世紀には佐敷按司の巴志(後の尚巴志)によって倒れ、その後は彼の中山制圧の拠点となりました。統一への第一歩を飾った場所というわけです。
ちなみに移動しようとしたとき、一組のカップルが原っぱを前にしてUターンしました。公園でなく原っぱだったからか、堆肥臭がしたからか、自分がいたからかは不明です。
そうして自分はその日最後の目的地へと歩いていきました。(徒歩です)
コメント
グスクめぐりもけっこうな数になってきましたねぇ…
川にしろ湧き水にしろ井戸にしろ、水のあるところは昔は神聖な場所だったのかもしれませんね。
しかし堆肥臭・・・やっぱり放牧ですかね?ありえるかも。
私は南部のどこかの道の植え込みのある中央分離帯でヤギが飼われてるのを見たことがありますから^^;
>まぁきぃさん
それにしてもあの原っぱは謎でしたね。あのカップルは観光客だったのかもしれませんが、あれで引いてしまったのかもしれません。チチンガーのほうがちゃんとしています。
それにしても中央分離帯でヤギですか、ありえなくは無いですが・・・無茶な飼い方です。