こんにちは。
今回は読谷遠征の最初の場所である「泊グスク」を紹介します。
この場所は「渡具知ビーチ公園」となっておりまして綺麗に整備されております。
左の写真は公園の外で見かけたカーです。新と旧の二つがあるようですが、旧は使えない、と言うことでしょうか?
右の写真は公園内の一角にある梵字碑です。もちろん読めません、梵字で書かれていますから。
公園内は綺麗ですが、ところどころに墓やその他色々あったりします。
右の写真の案内板はこの近辺が米軍上陸地点である事を伝えています。
写真の岩山の上にグスクがあったと伝えられているようです。左が遠景、中央が近づいたものです。
手書き(?)の案内板がいい味を出しています。
岩山の上に行く階段があります、一応道は整備されているのですが、雑草が生い茂って伸び放題、と偉いことになっています。
右は岩山先端、一応整備されているんですね・・・ここまで来るのは距離はともかくきついです。
せっかくですので別方面の先端。目の前には東シナ海が広がります。
右の写真は先端から公園のほうを見たものです。
公園内の砂浜の一角にこのような拝所がありました。拝所の側の亀裂には、波が寄せるのが見て取れます。
このグスクはもともと遺構が残っていなかったと言うことで、公園として整備されるのも自然な流れでしょう。景色もいいですし。
このグスクに伝わる伝承ですが、中北山王統三代目の今帰仁按司は家臣の本部大主によって滅ぼされます。この事件は「北山騒動」と言われていますが、嫡子の千代松(丘春)が落ち延びたのがこのグスクといわれています。
ここで雌伏すること18年、千代松は丘春と名乗り兵を挙げ、今帰仁グスクに攻め入ると本部大主を討ちとり、グスクを奪還したと言われています。詳しい話はいずれまた。
ちなみに「泊グスク」は反対の太平洋側の宮城島にもあることから、こちらは区別して「渡具知泊グスク」とも呼ばれているようです。
木綿原遺跡
国指定文化財、同じ渡具知集落にあります。道に迷ってたどり着きました。危うく某フェンスに激突するところでしたが・・・
この遺跡は貝塚時代のものと言われ、七基の石棺墓や十七体の人骨が発見されたのだそうです。
沖縄の当時を知る上で貴重と言えます。
左は発掘跡でしょうか・・・?
中央は遠景、一見平和な海岸の風景ですが・・・
背後は右の通りです。