おはようございます。
今日は天候が怪しいです・・・台風15号の影響でしょうか。厄介なことです。実は明日にでも少しグスクを回る予定だったんですが・・・今日にしましょうか・・・
そういえばグスクの数はあまり気にしていませんでしたが、知名グスクで記事にしたグスク数は20でした。一応一つの区切りにはなるでしょう。全グスクの1/21ですが・・・いずれはグスクのデータベースのようなものでもやりたいな・・・などと思ってみたり・・・
さて本題に入りましょう。9/3のグスクめぐりで最後に訪れたのがこの佐敷グスクですが、知念村から佐敷村に入って少しすると風景が微妙に変わってきます。
緑の山に白い靄がかかって見えます。霧ではありませんし、黄砂の季節でもありません。するとこれは・・・大里のミーグスクでの会話をいやでも思い出します。
さて、佐敷グスクに入るには佐敷町役場の辺りから入るわけですが。
このような鳥居がありますので、分かりやすいことこの上ないです。ちなみにこの写真はグスク側から撮ったものです。
それから坂を上ると公園のようになっています。ついたのは午後3時半頃。
正式には佐敷上グスクというようです。
周りを見ても遺構のようなものは見受けられません。具志頭グスクと同じぐらいでしょうか。
一応このような石段の跡と言うのはありますが、それ以外に神社と拝所ぐらいです。
とりあえず最奥部へ向かいます。といってもたいした鬱蒼とした木々や雑草や蜘蛛の巣があるわけではありませんので簡単です。
一応最奥部です、拝所のようなものがあります。社屋の裏手になりますが、あれって入ってもいいんでしょうか? 自分は入らず迂回しましたが・・・
これは公園の辺りからの景色です。巴志が見た景色もこのようなものだったのでしょうか・・・
このグスクを築いたのは、尚巴志の父に当たる苗代大親(なわしろうふや、後の尚思紹)と言われています。彼の父、佐銘川大主(さめかわうふぬし)の代から佐敷に住んでいましたが、苗代大親は人望を集め、佐敷間切を与えられ、佐敷按司と称されるようになりました。そのときにこのグスクを築いたといわれています。
後に息子の巴志が大里、浦添と進み、やがては三山統一を果たすわけですが、そう考えると、このグスクもすばらしいものに見えてくるかも・・・知れません。
コメント
佐敷グスクって、由緒あるグスクだったんですね。…
帰省したら佐敷グスクにまず行ってみようかなぁ。
ところで佐敷はとっても良い所だという印象を私は持ってます。
特に思い入れがあるとか、よく遊びに行ってたとかではないんですが、何故だろう?
そういえば友達がつきしろに住んでたので一度遊びに行ったことがあります。そのとき「あ、この辺りに住んでみたいなぁ。」と思った記憶がありますね^-^そのせいかな?
>まぁきぃさん
そうですね、このグスクが琉球統一の始まりといってもいいと思います。ちなみに、このグスクにある社屋は「つきしろの宮」と呼ばれています。
つきしろは佐敷でも山側になっていますから、その分過ごしやすそうですね。