おはようございます。
沖縄も思ったより早く涼しくなってきました。あの台風の影響でしょうか・・・
北海道まで行くというのはなかなか無いはずですが・・・
さてグスク巡りの続きです。知念グスクを後にした自分は安座真グスクを探しました。全く前情報の無い・・・いや、山にある、ということだけは分かりますが、それだけでは何とも・・・
安座真といえば「安座真サンサンビーチ」などと脳が天気な事を言っている場合では無く、というより一人で行っても仕方ないという話なんですが・・・
道路地図によればグスクへ向かうには国道331号外れなくてはいけません。どの道か分かりませんが、適当に見つけた上り坂に勘で入ります。最初は喫茶店のようなものが見えましたが、道はすぐに車一台分。本当に大丈夫か? と不安は募ります。
入り口発見午後二時過ぎのことです。
見晴らしはやっぱりいいのですが、足元のごみが気になります。地球は灰皿でもゴミ箱ではありません。(地球は灰皿かぁー、ってありましたね)ゴミの不法投棄、環境破壊はやめましょう。「チリのポイ捨て」などと言っている場合ではありません。
早速入り口に立ちますが、入り口からして雑草がはびこっており、しょっぱなから不安を掻き立てます。ここまで来れば前進あるのみ、そう言って入り口に入りました。
さて、雑草に覆われた石段の跡のような物をよじ登りますと、そこは山道でした。
山道・・・それ以外の表現の仕様がありません。
そして左側の写真がここで見た、一番遺構らしきものです。
それを過ぎてもとにかく登る、斜面の山道を登らねばなりません。
道の両側に岩らしきものが見えることもあります。そういったものもグスクで使われたりしたのでしょうか? 不明です。
それにしても足元も見づらく、前情報も無いのでいくらか緊張感があります。
そして、くもの巣を破壊すること三回、頂上らしきところまで来ましたが・・・これ以上は厳しいです。草を刈る道具があれば別ですが、自分はそこまでボランティア精神を持っていませんし、第一どの位かかるか見当つきません。
ちなみに言えば、グスクに関する詳細も不明です。知念村のHPでも触れていませんし・・・さらに追い討ちを掛けるように数ヶ月前にいためた右足の親指が痛み出しました。車の中で少し休んだらよくなりましたが・・・
それから331号に復帰して知名グスクを目指します。
ここも分かりにくく、331号の知名と海野の間を二往復・・・
結局これが目印だったようです。
ここから入ると、同じような案内板がありますのでそれにしたがって登ります。
そうして、墓地のようなところへたどり着いたのは午後三時前、景色は良いですが、海は荒れているようです。仕方ありません。ここからはテダ御川というところへ向かう道があるだけですのでその道を歩いてみます。
長い・・・それだけです。実際にはどの程度なのか分かりませんが、両側に藪があるだけのジグザグ道、おまけに人気が無いとなるといやでも長く感じます。何だか灯台が見えます。
これは後で知ったことですが、道の辺りも含めて、道の左側に見える山の辺りまでグスク域だったようです。山には何かあるんでしょうか・・・道はありませんが・・・
このグスクは知念グスクの新城を築いた、内間大親が住んでいた。といわれているようです。また、テダ御川(テダウッカー)も国王や聞得大君らが東御廻(あがりうまーい)する際の拝所の一つだったそうです。
結局、テダ御川までは行かずに引き返しました。せっかくだから行っておけばよかったかな、などと思いましたが、一体どれだけ歩くんだ、と思う部分もあります。一人で行くのはきついですね。
そう感じながら、自分は知念村を抜けて佐敷町へ入りました。
コメント
お疲れさまです。今回はまた長い道のりでしたねぇ。
でもグスクはどこも見晴らしの良い場所にありますね。そうでなければグスクの意味がないんでしょうね。
ひたすら進んで目の前に壮大なパノラマが開けたら歩いた甲斐がありますよね^-^
こういうあまり知られていないグスクの調査がなされていないのは戦争があったせいもあるのかな、と思いました。貴重な歴史の遺物が破壊されたのかな、って。
>まぁきぃさん
確かに今まで見たグスクはほとんどが高いところにありますね。グスク時代などに築かれたものでしたら、守りやすいように、と言う事もあるでしょうが、やはり偉い人は高いところが好きなのでしょう。
おかげで大抵のグスクでは見事な景色を拝むことが出来ますね。
戦争の影響と言うのはかなりあるでしょう。首里城が焼失したのはその典型ですし、戦後も基地用や復興のための資材としてグスクから石が持ち出されたりもしたはずです。
さらには基地や軍施設内に取り込まれたグスクや遺跡も存在しますので・・・こういったことは残念です。