さて西原シリーズ第一弾は西原町小波津のチチンタグスク、漢字で津喜武多グスクとも書くようです。
小波津団地西側にある丘がグスクです。団地造成の際に破壊を受けたのだそうですが・・・
写真はグスク南側から撮ったもの、標識も近くにあります。
南側には古墓等もありましたが、とりあえず東側の山道から登っていきます。
途中コンクリートの階段もありますがかなり古そう、階段を登りきって道を進みますが歩きにくいことには変わりありません。
一角には少し開けた場所があり、その辺りには墓とも拝所ともつかないものが・・・
雑草に埋もれ気味です。
グスク上部の北側にある墓。
「嘉手苅按司」とありますがこのグスクとの関連は不明です。
問題はその裏手で、右側の写真が裏手の道・・・歩幅約一歩分です。
半分岩肌に貼り付いて通過したものの行き止まり、上を見上げれば頂上が見えます。
左の写真がそれですが登るのは無理そうなので諦めました。
このグスクは中北山の今帰仁世の主が滅ぼされた際に、その四男がこの地に逃げ延び津喜武多按司を名乗ったといわれているそうです。
一説によれば伊波按司の次男が築いたといわれているようです。
また、このグスクには遺構が無く、石は首里城築城の際にもって言われたといわれているようですが、その跡も無く石は使われていなかったとも見られているようです。
このグスクの伝承としては、
津喜武多按司には美しい夫人がいたのだそうです。その夫人が近くの井戸で髪を洗っていたところ、夫人に思いを寄せていた幸地按司が通りかかり、夫人に泥を投げつけるという悪戯をしたのだそうです。(本当に悪戯です)
それを聞いた按司は憤慨し恨みますが、幸地按司は武勇で知られているので手を出せませんでした。
それを聞いた幸地按司は先手を打つために腹心をつれてチチンタグスクを訪れます。
幸地按司の訪問を受けた按司は、仕方なく歓待の宴を催しますが、その最中幸地按司は按司の名刀を拝見する振りして名刀で斬り殺します。
幸地按司は夫人を意のままにしようと手を尽くしますが、夫人は幸地按司を恨んだまま井戸に身を投げたのだそうです