尚円王の息子が城主に 「安谷屋グスク」

皆さんおはようございます。

それでは予告通り、今回からグスク巡り中部遠征の報告をしたいと思います。

さて、本来は「ヒニグスク」から行こうと思ったのですが、道が見当たりませんでしたので、数十分無駄にした挙句「安谷屋グスク」に向かいました。

この公園は「若松公園」と言う公園の中にあるのですが、そこの駐車場がなぜか見つかりません。新手の罠かと思いましたが、公園前の道路に駐車用らしきスペースを見つけましたので、そこに止めます。・・・車を止まるまでに十分以上要したような気が・・・家を出たのは十一時前だったのに、ここに着いたのは午後一時。

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 公園の案内板の横を抜け、階段を上ると、崩れかかった石段があります。いかにもと言った感じのグスク入り口です。

グスクの頂上部には最後の城主である中城若松の墓があります。

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 このグスクは、公園造成の際に損傷を受けたのか、遺構がはっきりしている割には規模は小さいです。

残っている部分はグスク内では高い場所だったのか、石段が多いような気がします。

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 ここの場合は、グスクと言うよりも墓のほうがメインに感じました。

 ここの墓の主である「中城若松」はこのグスクの先ほども述べましたが最後の城主です。

 第一尚氏七代目尚徳王が亡くなると、宮廷内でクーデターが発生し、重臣だった金丸が王位に即きます。第二尚氏初代尚円王です。

 このとき第一尚氏を支持する、越来按司(鬼大城)や安谷屋按司等が中心となって、北谷間切野国東方に国直グスクを築き、そこを拠点に反乱を企てますが、それを実行する前に尚円軍の攻撃を受けます。

 攻撃を受けた鬼大城は、知花グスクへ逃れるもそこでも追撃を受け自害します。安谷屋按司は行方をくらましました。

 行方をくらました安谷屋按司に代って、按司になったのが尚円王の息子である中城若松です。この地で生まれたと言う中松は、幼い頃より村民の親愛を受けていたそうです。その彼は、異母兄弟である三代目尚真王の時代に、全按司が首里に集められるまでこの地で過ごしたそうです。

参考-沖縄のグスクめぐり(むぎ社)

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 公園近くにはこういった物もありました。グスクと直接の関係はありませんが、興味のある方はついでに行ってみるのもいいか知れません。

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コメント

  1. まぁきぃ より:

    いよいよ中部ですね。
    若松公園・・聞いたことがあるような気がする・・。もしかしたら行ったことがあるかもです。でもこういう石段は見た記憶がないから気のせいかな^^;

    中城若松の墓があるってことは、ここに遺体があるってことですか?ひー。何か想像してしまったぁ。
    でも王の息子なのにここに墓があるのはやはり中城若松がここに愛着を持ってたからなのかな。

    ところでイーヌカーのイーってどういう意味ですか?

  2. T・ランタ より:

    >まぁきぃさん
    そうですね。
    若松は王にはなれなかったわけですから、愛着を持っていればここに墓を作らせることも出来たと思います。

    イーヌカーは・・・説明板がありませんでしたので詳しいことは不明です、すみません。

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