多数の按司を輩出 「伊波グスク」

今回は予定通り(遅い)に伊波グスクの紹介です。場所はうるま市石川伊波になります。

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グスク入り口、写真では分りにくいと思いますが、回りは住宅地です。

入り口前も普通に車が通るような場所ですので、邪魔になりにくいような場所に車を止めます。

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鳥居を潜って道を進むと、城門にいたります。

右側の写真が城門です・・・一応はこの城門が正門に当たる西門です。

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郭内、とそこにあった二つの拝所。

このグスクは郭が一つしかない、単郭式という非常にシンプルな構造です。

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左側の写真は内側から見た東門、と東門前の案内板と側の城壁です。

ちなみにここの外側にも住宅が迫っています。

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城壁です。このグスクはこの日回ったグスクの中では一番良く遺構が残っていました。(それで最後に回したのですが・・・)

ちなみにここの城門は三ヶ所あります。

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・・・左側の写真が北門ですが、ご覧の通り通行は困難です。仕方ありませんので諦めます。

右側はその側の城壁です。

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このグスクは比較的手入れはされています。 規模としては小さめですが、石積みが良く残っていますので雰囲気がいいです。

右の写真は郭の東側、崖に面した部分は高くなっています。

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高所にあった拝所と側の石積み、窪みがあり何か燃やした跡があります。

さらに崖側にはポールも立っています。

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右の写真は岩ですが、頂部が平らになった岩のうえに別の岩が乗っています。面白いですが、何か意味があるのでしょうか。

右の写真は崖付近から郭中心方向を見たものです。

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高所からの眺めです。高速やバイパス、が眼下に見下ろせます。

右手の海は金武湾で、こちらも良く見えます。

風も割合強くていい具合です。この日は11月17日で今からちょうど二週間前ですが、半袖でも充分でした。せっかくですので崖付近の石積みに腰を下ろしてみます。

このグスクを築いたのは、中北山最後の当主、仲宗根若按司の遺児である今帰仁子(別名今帰仁王子)だそうです。今帰仁グスクが怕尼芝によって落とされると、今帰仁子は嘉手苅(かでかる)まで落ち延び、洞窟に住んでいましたが、村人に推されて伊波按司となりグスクを築いたのだそうです。ちなみにその時住んでいた洞窟はテラガマという名前で残っているようです。

そしてその伊波按司の息子は多かったようで・・・

・長男-今帰仁子 ・次男-高瀬按司 ・三男-大湾按司 ・四男-玉城按司 ・五男-山田按司 ・六男-瀬長按司 ・八男-伊波按司(初代伊覇按司) これらの按司が出ています。ちなみに山田按司は護佐丸の祖先です。

さらに初代伊覇按司からは・・・

・長男-二代目伊覇按司 ・四男-玉城按司 ・五男-安慶名大川按司 ・六男-勝連按司 ・八男-幸地按司 ・十男-中城按司・・・といった具合にこれらの按司たちは琉球史において様々な役割を果たしたものと思われます。

その中でも、安慶名大川按司の一族は具志川辺りで大きな勢力を持ったようで、具志川、喜屋武、(場合によっては江洲や兼箇段も )などのグスクを築き、喜屋武グスクからは鬼大城こと大城賢勇も生まれています。

こうやって見ると重要人物も出ています。グスクが小さいからといって侮ってはいけないということです。

参考-沖縄のグスクめぐり(むぎ社 当真嗣一著)

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