この日は昼過ぎから外出して東武野田線愛宕駅から北東に4kmほどの場所にある野田市目吹の熊野神社近辺へ。
この辺りは目吹城があったとされていますが、現在明確な遺構は見受けられません。
(左)西側からみた城域遠景。鉄塔の辺りに城門があったと見られているようです。
また城域を抜ける県道7号線は道幅を広げたらしく、資料と道などが若干異なっていて戸惑いました。
(中)門城と呼ばれている場所は鉄塔があり、地形は改変されていそうです。
(右)城宿、城山と呼ばれている場所の遠景。奥の民家付近に標柱があるそうですが、近寄り難いものがあり、未確認です。
(左)熊野神社。城山の東にあり、物見のような物でもあったのでしょうか?
(右)資料には社殿裏手に土塁の痕跡とありますが、これがそうなのでしょうか。
この城は平安後期の武将である鎌倉景政の城だったと云う伝承があるそうです。
後三年の役で右目を負傷した景政はこの地で療養し、目が回復したことから目吹と呼ばれるようになったのだそうです。
確かなところではこの地は戦国時代には古河公方家の領地で幸田一色氏の一色義直が治めていたと見られています。